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2023/08/20(日)
今はないけど確実にあった風景
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先日のことになるが ドクター急病で検査が出来なかった日は https://ameblo.jp/oneself2012/entry-12815204680.html 帰りに地下街をふらふら歩いていたら 「昭和レトロ展」のポスターが目に入った。 検査は延期で思わぬ時間が出来たので まっすぐ帰らず寄ってみることに。
デパートの催事場で開催のそれは 最上階フロアのエレベーターの扉が開くと ナポリタンとかタコ焼きの匂いが立ち込め、 食べるコーナーは大混雑。 そこですいているスペースを探して歩くと、 ジオラマコーナーに。
わわ〜っ、 昭和30年代後半の池袋駅前でないの|!
実はほんの1年くらいだけど、 ドンピシャ、この頃、 我が家はこの池袋に住んでいたのだ。
今なら「池袋なんていいわねぇ」 と言われそうだけど、 あの頃の東京はどこも 大抵うらぶれた町だった。
池袋の駅前は両足のない傷病兵が 軍服を着て膝をついて アコーディオンで物悲しい軍歌を弾いて 物乞いをしていた。 (まだ戦後10年ちょっとだったから) とにかく子供には怖い駅前だった。
そんなことを思って見ていたら いくつかの記憶が蘇ってきた。
そうそう、 昔の東武百貨店のマークはこれこれ。 そうそう、 デパートのすれすれまで家が建ってたよ。 (*_*;
池袋に住む前は荻窪の四畳半一間の アパートにいたのだが (映画「ALWAYS 三丁目」まんまの世界だった) 南京虫(←死語?絶滅種?)が出て 住むのが大変になり、 友達の家に遊びに行くと 「東荻荘の子とは遊んじゃいけないってさ」 と言われるようになり、 さすがの気丈な両親もへこんで 池袋に引っ越したのだ。
この時期、私はほんとは 幼稚園に行く年頃だったけど、 家計のきりつめで 同じような経済事情のアパートの子と 日がな一日遊んでいた。 だからなのか写真が一枚もない。。。
さてさっき時々チェックするライターさんの noteの文章をまとめ読みしていたら レトロ展を観た私の気持ちに素敵な輪郭を つけてくれるような文章を発見。 ↓
”メールやLINEが消えて、 写真やビデオが消えて、 ソーシャルメディアの ぜんぶが消えてしまったとしても、 それは「あった」んだ。 自分の大事なあの人は「いた」のだし、 それは「あった」のだ。
〜古賀史健 「その記憶が消えてしまったとしても。」より〜
今や必需品のスマートフォン。 でもよくよく考えたら、 私自身はスマートフォンなんてないままで 生きてた年月の方がずっと長いのよね。 (;^ω^)
だから元々は「あったこと」を、 自分の中に「想い出」として残すことを、 身に付けていたはずなのに この感覚を忘れていたわ。
メールや写真が消えしまったとしても、 それは確かに「あった」んだ。
あの催事場でのジオラマの周りには 同年代の方が数名、 私のようにガラスに顔がくっつくほど 見入っていた。
きっとじっと見ることで、 「あったこと」として、 ずっと消えない何かを 焼き付けていたのだろう。
焼き付けて 消えないものになった記憶は 決して失われないものになるはず。
【補記】 (1)8/1付でHP更新 http://oneself.life.coocan.jp/
(2)認定トレーナーの開講日程 を7/26付で更新 http://orion-angelica.jp/oneselfcard/
(3)この内容とはまた違う観点で綴る 「ワンセルフカードの広場」 https://ameblo.jp/oneself2012/
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