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2018/04/18(水)
池に映った逆さの絵はダメ!?
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小学校2年生の担任の先生は女先生でした。わたしの記憶ではとってもきれいな先生でした。ほんとうは顔立ちやスタイルよりも”優しかった”の印象が綺麗に見えたのかも知れません。わたしのいつ?という記憶は不確かなので、いつ、どこで見たのかはっきりしませんが、子供を抱えたマリア像の絵を見たときに「ああ、お母さんだ」と思ったことがあります。この小学校のころの思いは母には一度も話したことがありません。恥ずかしい気持ちがあったのだと思います。死ぬまでに一度話しておけばよかった、との悔いは残っています。確かに若いころの母は綺麗だったのかも知れませんし、子どもにとっての母はいつも綺麗なのかも知れません。それは優しさが綺麗を相乗させるのだと思います。この綺麗な先生が1学期で来なくなりました。赤ちゃんが出来るとのことでお休みになったのです。1学期の最後の日のお話は心の中に嵐を起こしました。これが最初の失恋だったのかも知れません。だって”大ショック”でしたもの。2学期からの担任の女先生にも”大ショック”を受けました。お絵描きの時間にクラス全員が写生に出かけました。わたしは池に映った家と樹木をとってもきれいだと思い、描きました。先生がやってきてわたしの絵を見るなり、「絵はちゃんと描かなきゃダメ!家も木も逆さでしょ」ときつい声で言い放ちました。わたしは絵を提出しませんでした。以来、わたしは絵を描かなくなりました。子どもの絵は「どうしてその絵を描いたのか?絵を描くに至る経過とその思いは何だったのかを尋ねなくてはならない」とわたしは思います。池に映る逆さの家だって木だっていいじゃないですか。逆さでも綺麗なものは綺麗なのですから。特に教師という職業についているならばなおさらそうでなければと思います。だってわたしは絵についてはいまだにこの事件がトラウマになっています。
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