たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2019/01/31(木) 母の涙
岡山大学の受験発表の日である。母が合格発表の掲示板を見に行って来いと言う。しかし、わたしはどうにもその気にならないからぐずぐずしていた。理由は二つあった。まず第一の理由は、英語のテストである。そう、あの「くじら」なのだ。「白鯨」を「瀬戸内海のクジラ出現」と勘違いしていたあの大失敗である。(どうせ落ちているに違いない)と思う気持ちが合格発表の掲示板を見に行くのをためらわせていたのであった。理由の第2は、(どうせ岡山県庁に行くのだから見に行かなくてもいいじゃないか)という鯨の失敗をそちらへすり替えていたことであった。この「どうせ・・・」という理屈はその後のわたしの人生においても闘わなければなっらないもう一人の自分であった。「どうせ駄目ならぐずぐずしないで見に行けばいいじゃないか!馬鹿め!時間の無駄だろ。はっきりさせれば次の対処が早いだろう」という気持ちが持てないでぐずぐずしていたのだ。だが、再三の母の要請を無碍にも出来ずとりあえず出かけた。自転車はゆらゆらノロノロで超スローであった。さて、わたしが掲示板の前に立った頃には人影はまばらであった。従って、人の背中を押したり、伸びあがったり、人垣を描き分けたりしなくてもよかった。番号を照合すると、「おお、何と、合格していた」のだ。「やった!」と思った。その時、高校の同級生から声をかけられた。「おお、田畑よ、おまえはどうだった?」と。「合格してた」と言うと、「俺もだ。良かったな。だが、W君はダメだったらしい。受験の後は俺は出来たぜ、通ったぜ、と言っていたのに。5%(学区外の希望者を5%の枠内で入学させる制度)で操山にきた優秀な奴だったのに。どうしたのかなあ?」と言った。彼と別れて帰宅路についたわたしはずっとW君のことが頭から離れなかった。気持ちが沈んだままで何とも晴れないのであった。そして、帰ると、わたしを見るなり、母が泣き出した。浮かない顔をしているわたしを見て「落ちた」と思ったのだ。その様子を見て、わたしが「合格してたよ」と言うと今度は母はわたしを叩きながら泣いた。


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