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2018/09/09(日)
小学校もそろそろ終わりに
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昭和31年、小学6年生のわたしは朝は市場へ、放課後は卵の仕入れに、そして後の時間、及び土日、祝日、夏・冬・春の休みは遊び暮らしていた。世の中は敗戦から11年経ち、随分落ち着いてきていたのだと思う。この年、日ソ国交回復、日本の国際連合加入、南極観測船宗谷の出発などがおこなわれている。わたしはラジオも満足に聞いていなかったので何にも知らなかった。テレビを見たのは小学校5年生の時に、妹尾の電気販売店の店先で相撲を見たのが初めてであった。次は東京の旅館で力道山を観た。レスリングの試合であり、空手チョップは凄いと思った。父に会うために東京に行った時のことである。3度目にテレビで相撲を観たのは岡山市の天満屋のバスターミナルであった。母のお使いで天満屋近くへ行った時のことである。そして4度目は奥田の近所の家でテレビを買ったと言うので観せていただいた。それが皇太子(現在の平成天皇)と美智子妃の結婚式であった。途中で妨害者が入ったことはよく覚えている。しかし、何故?とかについては誰も教えてはくれなかった。それはともかくとして、テレビを購入できた家は恐らくこの年に起きた神武景気のおかげであろう。朝鮮戦争の特需から、5年目である。そして、この年、原子力委員会が発足するとともに、東海村に原子力研究所が設置されている。この背景には日本も将来いつでも原爆を製造するぞとの決意が隠されていた。アメリカに対しては「面従腹背」しつつ、「再び栄光の日本を」との野望を心の奥底に燃やしていたのであろう。何故、マッカーサーが天皇の戦争責任を追及せず、憲法に「天皇を象徴」として残したのかはわからない。だが、彼が天皇を生かして日本国民を懐柔しようとしたのであろうことは確かなことだ。このような時代にわたしは世の中のことは何も知らないで中学校に入学しようとしていたのだが、翌年、中学校へ入学した年に現在の安倍首相が心酔する彼の祖父である岸信介が首相となった。彼は戦犯である。戦前の政府の商工大臣であったが、朝鮮戦争で彼は釈放された。いわば戦前の天皇制軍事政権の怪物が檻から解放されたのではないかと思われる。これも歴史の皮肉であろうか!?
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