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2018/03/31(土)
居所転々
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わたしは父と母のお陰で神戸及び岡山の大空襲を逃げ、かろうじて難を逃れて命をつなぎ、奥田へ着いた。しかし、終戦までの46日間及び戦後はどうしていたのであろう?父も母もその後の居所転々についてわたしたちに話しはしてもそれ以外のことはなにも語らなかった。その後のさまざまな人たちの話をつなぎ合わせると次のような経過であったと思われる。数日の間は奥田にいた。しかし、長くは留まれず、父は本当は帰りたくない故郷を頼らざるを得なかった。理由は、空襲の難を逃れるには岡山よりは故郷の方が安全だと考えられたからに違いない。父の故郷は島根県隠岐郡知夫里島である。知夫里島は隠岐諸島の一つであり、最南端に位置する。現在は島根県で唯一の村であり、知夫村諸島の主島である。そして、西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)とともに島前三島の一つである。父は連れ子として再婚した母の連れ合いの家で育ったが、12歳で家出をしている。かなり辛い幼少期を経験したに違いない。尋ねた実家の弟は戦地に出征したままである。姉は嫁いで島根県境港市にいる。姉がいたと言うことは連れ子同士の再婚であったに違いない。義父の姓は中本である。従って、姉と弟の姓も中本である。実母も中本である。わたしの父の姓が田畑であることからわかるように違和感のある家族構成である。しかも、中本家の跡継ぎの弟(岡山の38連隊から、姫路の連隊へ移籍し、経理の勉強をしたのち、中野学校に入り、終戦のころはソ連領にスパイとして潜り込んでいたと聞く。戦後、帰還した時には籍がなく、復帰できるまでには相当の期間を要した。その間の生活は漁船で過ごし、陸に上がった時に事故に遭い、片足を失った)の消息が知れないのに、家出した「松市」が嫁と息子を連れて帰ってきたのだ。義父が面白く思わないのは当然であろう。連れ子が家出して肩身の狭い思いをしている実の母も優しく接するはずがない。その後、姉を頼って境港市へ行き、終戦を迎えてから母の実家(妹尾)へ帰ったという経過のようである。
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