たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2018/12/31(月) 優しさに惚れた
ヒトラーの「わが闘争」を読んだわたしが彼に心酔した一点は”刑務所の独房の中で与えられた粗末でわずかな食べ物をネズミに与えるという優しさ”であった。この優しさに感動した背景にはスタンダールの「赤と黒」の主人公とヒトラーのイメージを重ねあわせたからだったのではないかと思われる。いずれにしてもわたしはヒトラーの政治活動の原点”は人に対する優しさ”であると思った。後に、ホロコーストの大量殺人行為などの事実からこの認識は誤解であったと気づくことになるのではあるが、高校2年生のわたしは右翼的な思想に近づいていった。「人類に愛と優しさを。そのためには力を」である。さて、刑務所を出たヒトラーは1929年の世界恐慌の中で溢れる失業者を前に「ドイツ国民よ、立ち上がれ!ゲルマン民族は優秀である。頭を上げて前進せよ」と呼びかけたのである。翌、1930年の国会議員選挙でナチスの得票率は18%、共産党は13%であった。ここから彼の政敵は共産党になったのであろう。ヒトラーは政敵を倒し、自分が権力を手にするためには何でもやる覚悟を持っていた。今日の日本の政治で気がかりなことは数年前に麻生大臣がふと漏らした(安倍自民党が)「国民が気が付いた時には全権委任の法律が出来ていた」という(ナチスの)ようにならないものか」という愚痴発言であるが、この発言が愚痴ではなく秘かに確かに実行されているという恐怖である。さて、それはともかく、ヒトラーはその2年後の1932年2月25日に党幹部、フリックの手配でドイツの公務員となった。公務員は自動的にドイツ国籍が与えられたのでヒトラーは晴れてこの日にドイツ国籍を取得し、ドイツ国民となったのであった。そして、この年の7月の選挙でナチス党は37.8%の得票率を得て、第一党となった。ここでわたしが思うことは何故共産党はドイツ国民の心を捉えることが出来なかったのであろうかということである。ソ連崩壊、中国共産党の人権無視を考える時に政治経済の理論だけではなくもっと「人」と言うことに、{人の心」という点に寄りそう研究をすべきだはないかと思うのであるが・・・。


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