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2018/11/09(金)
1人映画部に転部
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操山高校の剣道部に入って良かったことの一つは西田君と出会ったことだった。彼は勉強もよく出来た。30番以内だと聞いていたから家庭の事情が許せば東京大学か、京都大学に進学していたであろう。彼もわたしと同じくそれほど裕福な家庭ではなかった。彼は読書家でもあった。本などまともに読んだことのなかったわたしには驚きであり敬服すべきことであった。彼は「徳川家康」を呼んでいた。作者名は忘れたがいずれにしても膨大な量の本であった。わたしからすれば驚くほどの長大な小説であった。そして彼は剣道の練習も手抜きはしなかった。(弁護士をめざしていた)寡黙な彼といるとわたしの心は不思議と落ちつくのであった。1年生の頃はよく行動を共にした。そして好きになった女生徒の後をつけるなどしたこともある。その頃のわたしたちの頭の中には女性と言う特別な存在が巨大な領域を占めていたのであった。ところが、ところがである。ある日を境にわたしは「一人映画部」に転部することになってしまった。どうしてわたしという奴は一つことに捕らわれるとのめり込んでしまうのか。初志貫徹の出来ないイイカゲン野郎なのであろうか、と思う。しかし、西田君との交際を止めたわけではないもののわたしは剣道部に行かなくなった。実は、中学の同級生だった友人から映画に誘われたのがきっかけだった。日活全盛の時代である。石原裕次郎、宍戸錠、小林旭・・・などであった。それに加えて安価な映画館の「洋画」である。とうとうわたしはそちらにはまり込んでしまった。部活をさぼって帰宅部になったのではなく「一人映画部」にはまってしまったというわけである。よくもまあと思うほど映画館に通うことになった。それでいて映画監督になろうなどとは夢にも思わなかった。期間は1年生の3学期から2年生の1学期の間くらいであったろうか。しかし、二つの事件が一人映画部のわたしの軌道をまた修正させたのであった。その一つは「事実を知ることの大切さ」を教えてくれる事件であった。
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