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2018/10/18(木)
まだまだ遠い操山高校
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わたしは皇太子(現在の平成天皇)と美智子妃の結婚した年を間違えていたようだ。歴史年表を見ると皇太子婚礼は昭和34年となっている。なぜそれがわたしにとって重要かと言うと、その年次の間違いはわが家のテレビ購入年の間違いとなるからである。わたしは小学校6年生で近所の家でお二人の結婚式を見たと記憶していたところ、それは間違いで中学校3年生だったのだ。妹尾から岡山に転居して4年間はテレビがなかったのだ。テレビ漬けは高校時代だったのだ。つまり中学校3年生の3学期から高校、大学時代には家でテレビをずっと見ていたということだ。アメリカ映画のコンバットだの、ひょっこりひょうたん島だの、海外の旅物だのはなんと新鮮だったことか。テレビはわたしと弟の目と時間を奪ってやまなかった。つまり、折角母が作ってくれた朝の時間、及び金光道場を止めた夕方の時間をテレビに奪われるという事態を招いていたのだった。これは受験直前の子供にとっては最大の難敵であった。だが、それまでラジオしかなかったわたしには昭和34年という年はラッキーな年でもあったということになる。まず、当時の岡輝中では、3年生になると受験組と就職組に分けられた。受験組はイ組、ロ組、ハ組の3クラスに編成された。各組およそ50人編成であった。当時のクラス編成は50人が基本であったので課外授業編成もそうなっていた。わたしはまず受験組最下位のハ組の下位であった。わたしの成績では県立高校は無理であり私立の吉備高校が妥当であったのだ。県立普通科高校である朝日高校、操山高校はイ組の20番以内だと言われていた。朝日、操山は出来るだけ希望には添うものの振り分けなのでそうならないことも多いと言われていた。受験まで後一年を切っていたというのに操山高校はまだはるか彼方であった。ところが・・・・・?
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