たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2017/08/31(木) 魚の小骨(33)パリの武器見本市
「北朝鮮がミサイルを発射する前日になぜ安倍首相が首相官邸にいるのか?事前に知っているからに違いない」との情報がネットで流れているようです。わたしも米軍情報が事前に流されていると思っています。そうでないと一昨日のアメリカの落ち着きようは合点がいきません。米軍情報が事前にある時とない時で菅官房長官の対応・会見が微妙に違うのもうなづけます。前回と今回の違いにその状況が見受けられます。北朝鮮が何かやると安倍首相の支持率が上がります。ネットには「森友だの、加計などグタグタ騒ぐな。北朝鮮の脅威への対応が先だ」との書き込みが踊りまわります。こうした北朝鮮の核ミサイルの挑発を利用して日本国民を操作する安倍首相の姿勢が透けて見えます。そしてそれは何を見据えているのか?と言えば、憲法 9条の改悪、日本の武装化・海外派兵です。核兵器製造も視野にはいっていることでしょう。だから核兵器禁止条約制定に反対するのです。世界の流れに抗して。自衛隊を名実ともに軍隊にしようとする企みです。その前段が3年前の2014年4月1日の「防衛装備移転 3原則」の閣議決定です。これで国外への武器輸出を可能にしたことです。2014年9月に「武器輸出に係る NHKの報道」がありました。「防衛装備移転」閣議決定から半年。どのように変わったのでしょうか」というものです。内容は6月に開催されたパリでの武器見本市の密着取材を中心に編集されていました。世界からは1500社が出展。日本からは防衛省主導で12社が初めて出展したと言います。装甲車、無人飛行機・・・などあらゆる武器が展示されています。その中で世界各社からの最初の反応の紹介が驚きでした。三菱重工の展示品は地雷処理装置付きの重機である装甲車のようでしたが、ブースを訪れた人たちの「三菱が戻ってきた」との喜びの声でした。防衛省装備政策課が世界の軍関係者、企業と日本の企業の仲介をしています。防衛省装備政策課長が仲介しての軍関係者及び企業との会話は数時間に及ぶと言います。フランス軍関係者・企業との会話時間は8時間。何が話し合われたかは取材拒否でしたから内容はわかりません。防衛省装備政策課長の関心は「わが国は戦争をしないできた。そのため実戦の経験で改良が加えられた、加えるべき改良点を見つけたい」というもので、実戦を想定しての武器の改良が中心視点でした。

2017/08/30(水) 魚の小骨(32)武器輸出解禁から3年
2014年4月1日、安倍自公政権は「武器輸出3原則」を見直し、「防衛装備移転3原則」を閣議決定しました。あれから3年が経ちました。平和貢献、防衛協力の前進と自画自賛していますが果たしてそうなっているのでしょうか?旧3原則で武器輸出が禁止されていた国は(1)共産圏諸国(2)国連決議で武器輸出が禁止されている国(3)国際紛争当事国とされていました。しかし、運用に当たっては以前の宇野内閣のように原則禁止が基本とされていました。今回の新3原則は原則禁止ではなく武器輸出が前提です。ところが、安倍政権は(2)及び(3)を継承するから大丈夫だと大見得を切るのです。国民向けのゼスチャーとしか言いようがありません。新3原則では(1)の共産圏諸国が除かれました。旧ソ連が対象であると日米で取り決められていたのでしょう。旧ソ連が崩壊したのでその他の国はもう売ってもいいぞということでアメリカと相談した結果に違いありません。ミサイル防衛分野ではアメリカとの協力で認めた21分野も承継されました。厳格な審査をおこなう。武器を輸出した国が第3国へさらに移転する場合は日本の事前承認が必要だ。だから大丈夫だと言います。本当にそうなっているのでしょうか。審査はNSC (国家安全保障会議)で審査するというのですが、北朝鮮のミサイル発射について昨日開催されたあの国家安全保障会議です。首相と関係大臣と制服組の会議です。信用が置けるのでしょうか。例えば、「安全保障面での協力関係のある諸国との国際共同開発・生産」また「安全保障面での協力関係のある諸国との救難、輸送、警戒、監視及び掃海にかかる協力に関する移転を認め得る」とありますが、これではどこの国が良いのか、悪いのか、わかりません。北朝鮮の核ミサイル実射に対して共同歩調を執る中国、ロシア、韓国に対する武器移転はイエスなのか、それとのノーなのか?この規定の曖昧さから言えば、その時々の国家安全保障会議が決めればよいということにならないでしょうか。そもそも「安全保障面での協力関係のある諸国」とは何なのか?その時々で評価は変わり得るものではないでしょうか?例えば現時点での韓国・文政権はどうなのか?まったくはっきりとはしません。しかも、アメリカに売った武器はそこから先はアメリカの責任で処理と言います。つまり、日本は事前承認の審査はせず、お好きにどうぞ!ということだそうです。事前承認制は決めただけで「これほど厳格にやっているぞ」とのゼスチャーにしか過ぎないのです。

2017/08/29(火) 魚の小骨(31)北がミサイル発射!
今朝、洗顔や歯磨きなどを済ませた後、5時55分にテレビをつけました。観ていると、6時14分に急に画面が変わり、北朝鮮のミサイル発射について「J アラートが発信されました。ミサイル発射。ミサイル発射。北海道、青森、秋田、宮城・・・頑丈な建物などに避難してください」と北海道、東北各県の名前を連呼しながらこの報道が繰り返されました。その後安倍首相や官房長官、防衛・外務の大臣等の談話などを挿入しながら2時間以上がこの報道に費やされました。その中で、通過時間を6:06を約1分微調整し、6:07分に変更したほかは確定時間が報道されました。北朝鮮のミサイル発射時間5:58.(襟裳岬)通過は6:07.落下が6:12でした。すると、ミサイルが太平洋に落下した2分後の6:14にテレビ報道で「堅固な建物に避難してください」と伝えたということになります。安倍首相が「ミサイル発射時から我々は監視し、情報を収集し、国民の安全、安心を守る努力をしていた」との談話にわたしは{?」と思いました。7チャンネルではアメリカの対応を報道しました(株式市況報道番組でアメリカ特派員が出演中)が、アメリカの反応はなにもありませんでした。中国の反応は「NHK の報道を引用しながら冷静な対応を求める」というものでした。北朝鮮が現在実行中の米韓合同軍事演習に反発して今回のミサイル発射をおこなったということは疑う余地はありません。米中の反応もこの程度なんだろうと思われます。日本の排他的領空侵犯、領海侵犯は犯していないようです。まさに微妙な脅しです。憲法9条を捻じ曲げての軍隊(自衛隊)保有(憲法9条に違反してまで)。日米軍事同盟(安保条約)による核の傘下の日本。ここには戦争の火種はあっても国民を守るという正当性はないのではないでしょうか。そこでわたしは思うのです。安倍首相が解禁した武器輸出のことです。現在、アメリカにかなりの輸出がされていますが、アメリカのバイヤーからどこへ売られるかはアメリカの責任だとのことです。武器輸出の3原則の一つである戦争当事国などへ売却する際の事前承認さえ守られていないというのです。周り回って日本の製品が北朝鮮で使われていたということも有りうるのです。安倍自公政権はこれに歯止めをかけていません。一体どうするのでしょう?

2017/08/28(月) 魚の小骨(30)戦況は神頼み!?
戦況報告が下も嘘、上も嘘では戦況を正確に判断できないことは当然です。しかも、不利な戦況を聞きたくないというトップの姿勢は戦後の軍上層部の「物資に不足した日本が米国に負けるのは当然だった」との自己を正当化する姿勢と共通する構造的要因です。人情で作戦を認めるなどの傾向も含め、正しく認識されない戦況では作戦の立てようがありません。英軍は作戦計画を冷徹に見極め、「梅雨になって日本軍の食料が尽きた頃に戦闘開始」と立て、物資は空輸、最新の兵器を装備と万全の準備をしていました。その後の戦闘は、まさに「敵の術中にはまった」と言わざるを得ない惨敗でした。牟田口中将はビルマから作戦指揮を執っていた(そんなバカな!)のですが、いよいよ戦況が不利となり、33軍及び31軍司令官を解任(お前たちは馬鹿だ)し、やっと自らがビルマからインパールに近い前線近くのモロへと作戦本部を移しました。そこでの状況を斎藤少尉は次のように記しています。「本部前の道を初め、そこいらじゅうに兵士の死体や傷病者が転がっていました。朝は死体の片づけから始まるのですが、夜が明けると牟田口中将の祝詞で朝が始まります。祝詞の内容は戦勝祈願です。我らを勝たせたまえ!と。異様な雰囲気でした。こうして牟田口中将は武器も弾薬もない中、百mでも前に進めと命令した」というのです。31軍はほぼ全滅。33軍、15軍の兵士にも死以外に選択の余地は残されなかったというのです。およそ1万人が死亡したといいます。大本営から戦闘停止、撤退の命令が出されたのは4か月後の7月1日でした。さらに悲惨だったのは撤退でした。困難を極め、3か月以上かかったチンドウイン川と密林を英軍の追撃を受けながら撤退するのですから当然すぎるほど当然の結果でした。傷つき歩けない兵士、病気の兵士はは置いていかれました。手榴弾と爆薬が残されたといいます。自爆しろということです。帰途歩けなくなった兵士も置いていかれます。赤痢にマラリアが蔓延します。食料がなく、死んだ兵士の肉を食べ、フンドシまで剥いだといわれます。死んだ兵士の肉は物々交換されたといいます。この道は日本兵の白骨で埋め尽くされ「白骨街道」と呼ばれたといいます。生きて帰った人の証言によると「赤痢やマラリア以外にも密林の黒ヒョウやハゲタカに狙われて命を落としたといいます。ハゲタカは生きて歩いているうちは襲って来ないが倒れると襲ってくる。自殺者も大勢いた」とのことです。こうして死者が3万人を超え、撤退中の死亡者が6〜7割だと言われています。撤退には6か月以上を要したといいます。報道によれば、現地の人たちが「鉄兜や銃を遺族の人が来たら渡してあげたい」と保管してくださっているそうです。なお、70年経った今でも骨が出てくるそうです。未だに死体は放置されたままなのです。まだ戦争は終了していないのです。

2017/08/27(日) 魚の小骨(29)敗北は目前だった
33軍は南からインパールへと向かいます。その途上のシンゲルで英軍と戦闘になりましたが、兵士に戦う余力は残されておらず大敗北を喫しました。死者は千人以上であったと言われています。33軍の連隊長が作戦変更を牟田口中将に「忍び難きを忍び、恥を忍んで申し上げます。作戦の変更をお願いしたい」と上申したところ、「バカヤロー」とその上申は取り上げられませんでした。斎藤少尉の日記には牟田口中将が他の高官と話し合っている会話について「幾ら殺せば取れるか?」「五千も殺せば可能かと」と記されています。斎藤少尉は「最初は敵軍の兵士を幾ら殺せばと思っていたところそれは間違っていた。味方を何人殺せばそこが取れるかということであり、愕然とした」と記しています。これが彼が報道番組で流した涙の原因でした。「軍上層部は兵士を人間として見ていなかった。それを知ったことが悲しい」という現実でした。3か月以上の月日を費やしてやっとインパールの近くまで到達したものの兵士は戦う武器弾薬、食料、体力を消耗しつくしていました。31軍のコヒマの戦いも同様でした。戦闘は肉薄(肉弾)攻撃命令のみ。もうそれ以上の戦闘は不可能であったと見るのが妥当でしょう。肉薄攻撃とは爆弾を持って敵陣へ突撃するというものでしたが、敵の機関銃や戦車隊に歯が立ちません。死者は3千人を超えたと言います。ところが日本本土での報道は「皇軍!コヒマの敵陣猛襲」というものだったと言います。牟田口中将は部下たちに「記者には嘘でも景気よく見せろと言った」と言います。もちろん日本軍に不利な情報を流せる新聞、ラジオ報道はありません。なお、東條英機首相にインパール作戦の状況が良くないと伝えられた際にも東條首相は話の途中で報告をさえぎり話をさせなかったといいます。彼は聞きたくなかったのでしょう。ここにも冷徹に戦況を分析して対処する姿勢がありませんでした。英軍の作戦計画は「長期戦を予定し、英軍の兵たんは空輸で補給する。新兵器を装備する。梅雨になれば日本軍は食料補給がゼロになる。日本軍の食料がほとんど尽きたころを狙って戦闘を開始する」というものだった。

2017/08/26(土) 魚の小骨(28)日本兵は人にあらず!?
昨日は「天が今にも泣きそうだ」と思ったところ夕方から本当に泣き出した。今日も曇天、泣くのだろうか。泣いて報告したのは牟田口中将付きの斎藤少尉でした。NHK のインタビューに答えて。彼は「軍上層部は兵隊を(牛や豚なみ)人と思っていなかった。これを知ってしまったぼくは悲しいです」と目を腫らし、うつむいて答えていました。斎藤少尉は連合軍の捕虜となってから帰国しました。その時には彼は日記を持って行かなかったようです。病気になり撤退できなかった彼は撤退する誰かに日記を預けていたのかも知れません。記者に「(日記を)持ってらっしゃったのですか」と尋ねていました。最悪無謀な作戦と称されたインパール作戦は1944(昭和19)年3月8日に決行されました。日本軍がビルマを占領した際英軍はインドに撤退しました。その作戦指揮の本部の置かれた場所がインド北東部のインパールでした。ビルマ及びインドのこの一帯は世界一降雨量の多い熱帯の密林です。ビルマとインドのインパールの間には最大幅600mにも及ぶチンドウイン川が流れています。しかも高度2千m級の山々が連なっています。道もありません。そこを470kmも行軍するのですから食料、武器、弾薬などが持つはずがありません。牟田口中将が持たせた食料は3か月分。3か月で落とせとの無理難題の命令でした。牛1万頭、ヤギなども現地調達。不足する食料は現地調達せよとのこと。しかし、ジャングルでの食料調達は無理。何といっても少数民族の部落が点々と存在するだけですから。15軍は左から、33軍は南から、31軍は左より北へ回りコヒマヘ(インパールを攻略するための挟撃作戦として)。当然、作戦部長は兵たんが確保不能として反対。しかし、牟田口中将は「卑怯者!ヤマト魂はあるのか!」と一括し、「反対者を黙らせた」と斎藤少尉は日記に書いています。また、牟田口中将が「わしは盧溝橋で戦いの先端を開いた。最後を締めくくるのもわしの責任だ」とも。そして、反対者を解任し、インパールを攻略する作戦を大本営に働きかけたと言う。大本営がこの作戦を採用した背景は盧溝橋を共に戦った友人たちが人情的に賛成した結果だと言うのです。ここには戦況を冷徹に見定めようとする姿勢がまったくありません。その結果は惨憺たるものでした。まず、3か月でインパールへの到達すること自身が不可能でした。そして、アメーバ赤痢などの病気での死亡。チンドウイン川の渡河も難儀を極め、牛の半数は流されたと言います。インパールやコヒマヘ到達する以前に兵士は死亡者が続出、生存者もへとへとでした。

2017/08/25(金) 魚の小骨(27)無謀な戦争の責任は誰が?
今朝の空は今にも泣きだしそうな曇天です。戦前の天皇制の下での旧日本軍の実態を見ているようで悲しくなります。大東亜戦争(太平洋戦争)と日本が名付けたこの戦争の初期侵攻作戦の目標は(1)開戦直後にハワイ真珠湾を攻撃し米北太平洋艦隊を壊滅させる。(2)同時に英領マレー、米領フィリピン、蘭領東インド(現インドネシア)を攻略し、南方の資源地域を確保する。(3)そして、米英の根拠地マニラ、シンガポール、香港を攻略する。(4)さらに中部太平洋及びビルマ(現ミャンマー)の要城を占領し、長期持久の防衛体制を確立する、というものであった。兵たん(食料、武器、弾薬の補給輸送)は主に海軍が担ったがとてもこの広大な戦線を維持できるものではない。この広大な地域における戦争を始め、継続した無謀さはどこから生まれたのか。わたしはひやりとするほどの勝ち戦を納めた日清戦争、特に日露戦争の勝利から生まれた過信と神がかり(万世一系の天皇が支配する瑞穂の国大和)ではなかったかと思う。蒙古来襲時の台風は神風が吹いたのだ。そして、国の危難は神風が助けてくれるという根拠の無い考えは神風特攻隊へと進化してゆく。ここには馬より安くつく下士官や兵隊は人間として扱われない思想が深く根付いている。戦争という兵士・国民の生死に係る一事をも冷徹に科学しようとせず軍上層部は自己の保身と栄達とで判断してきた結果、ミッドウエー海戦の敗北を契機に攻守逆転となり硫黄島や沖縄玉砕、本土空襲、広島・長崎への原爆投下を経て、無条件降伏となった。しかし、この精神主義は戦後72年経った現在でも続けられている。その一つが、「終戦」という用語の使用である。無条件降伏であるならば間違いなく「敗戦」であるにもかかわらず子供たちにさえ歴史の真実を教えようとしない日本の現実が横たわっている。世界一無謀と言われたインパール作戦の発案者であり、反対者を排除しての遂行者であった牟田口中将(戦後、彼はわたしの発案ではなく大本営の命令に従ったと言い、大本営は15軍の戦線拡大の範囲と言った。どちらにも責任があったにも関わらず責任をお互いになすりあう醜悪さを露呈)付きの斎藤博圀少尉の日記が見つかった。そこには?

2017/08/24(木) 魚の小骨(26)豚から人への応用は可能
残暑とは言えないほどの酷暑が続いています。是非お体にはご留意ください。研究者のみなさんもこの酷暑の中「わたしも将来ノーベル賞を取りたい。その為にはあの施設も新しくしたいとか、もっと優秀な補助者が欲しいとか・・・ああ、もっと資金が欲しい」と思われている方も多いのではないでしょうか。この思いは切実で、誰もが思う善意の思いです。しかし、政府の補助金が減額され、大学への予算配分が成果主義に変わっている今では各研究室への研究費は十分とは言えません。そんな中、防衛省の研究費が喉から手が出るほど欲しいと思うのは当然の成り行きです。防衛省がばら蒔く大学への研究費はこうした状況を踏まえているのです。例えば、とわたしは思うのですが、NTTドコモがあらゆるものがネットにつながるIoTを養豚業に応用する実証実験を始めます。センサーを使って豚が食べた量を計測し、体調を把握し、生育コストを従来の2〜3割抑えようとの実験です。また、豚は78kgより太ると販売額が落ちてしまいます。そこで、最適なタイミングで豚を出荷できるようにするとのことです。このシステムが稼働するとこれまでの養豚コスト1kg当たり420円かかっていたものが約100円下げられるといいます。では、これをどう応用するのか?わたしが防衛大臣なら自衛隊員の食事と体重管理に応用します。そして、徴兵制に備えて精度を上げる研究をさらに進めます。現在、関係が無いように思える先進技術はいつでも応用可能となります。兵たん部門も含めれば軍隊に必要なことは国民に必要なこととまったく変わらないのですから。違うのは「殺人が名誉であり勲章をもらえる」のか、それとも「殺人は悪であり、刑に服するのか」の違いです。自衛隊と名前は変えても軍隊に違いはありません。彼らは毎日殺人の訓練をさせられているのです。災害支援に出かけてもそれはそれで悪くはありませんがこの任務は彼らの本来の任務ではありません。制服組がわたしたちの大臣を出したい。できれば内閣総理大臣を出したい、と願うのも無理はありません。だからこそ、人として何が大切か!文民統制はなぜ必要か!憲法9条はなぜ必要か!を心底府に落ちる教育と議論が必要になります。今回の「PKOの日報隠し」は彼ら制服組が戦前の大本営と変わらない国民を騙す軍隊であることをわたしたち国民に教えてくれました。彼らはいつも国民を騙しても構わないと思っているのです。まずわれわれはこの事実を承知しておかねばならない。本当に悲しいことではありますが。

2017/08/23(水) 魚の小骨(25)裁かれなかった罪
731部隊は1936(昭和11)年に設立され、軍医・石井四郎が部隊長となった。前年の東北は凶作であり、娘を身売りするという問題が起きるほど貧困が問題であった。このような時は「民の目を外へ向けさせる」が鉄則である。また、東大教授・美濃部達吉氏の天皇機関説を貴族院で問題にした。「天皇は神である。主権は天皇にある」と。軍部はそして、この年、日本はロンドン軍縮会議から脱退させた。「米欧と軍縮の比率が違うのはケシカラン」と。2・26事件(皇道派青年将校の軍部内閣設立をめざすクーデター)が引き起こされた。結果は失敗に終わったものの日本のファシズムは完成に近づいた年となった。陸軍内部のファッショ的手法の皇道派と軍が統制する軍部独裁を主張する東条英機などの統制派の覇権争いは統制派が主導権を握った。その結果の一つが軍部大臣現役制を復活させたことである。二つめは、ヒトラーとの提携を図り、日独防共協定を成立させたことである。この防共協定は翌年に伊を加えて三国となり、4年後の1940(昭和15)年に日独伊三国軍事同盟へと進められた。このような状況の中で設立された731部隊の任務は細菌兵器を開発してソ連に対抗するというものであった。5年後の1941(昭和16)年に締結された日ソ中立条約はあくまでも南方作戦を展開したいがために大東亜戦争開戦を目前として北への余力がない日本とドイツと交戦中で東への余力がないソ連の妥協の産物でしかなかった。日ソ両国が隙あらば、余力が出来れば戦闘開始という状況は当然の帰結であったであろう。731部隊長・石井四郎に委託された1940年の予算額は約1000円(現在の額にして約300億円)であったと言われる。チフス菌研究の第一人者であった田部井和(かなう)氏には別途の金が現在の額とすれば約500万円田部井氏個人に支払われたという。また、京大の戸田医学部長が教え子を731部隊に送る見返りとしては現在の額とすれば約2億5千万円が研究費として支払われたという。もちろん東大総長長与氏とのパイプも同様に利用された。こうして集められたエリートたちはマルタと呼ばれた中国人、満州人、ソ連人に砂糖水にチフス菌を入れて飲ませる、ペストに感染させたノミを獄の中に入れる、スイカにチフス菌を注射して食わせる、ペスト菌・パラチフス菌を3千ケの饅頭に入れて住民に配るなどしたという。そして、少なくとも3回はこのような細菌兵器を中国国内で使用したというのだ。しかし、天皇を初め、戦後暗躍する戦前の為政者たち、政治ゴロたちは日本を反共の防波堤にするという名目で罪に問われることはなかった。

2017/08/22(火) 魚の小骨(24)学者と戦争
ところが、現実はなかなかそうもいかぬようだ。防衛省から大学の研究室への補助金支出を巡って、学者たちの激論があった。「再び学者が戦争に協力するや否や」という議題で。ある者は「補助をもらえば協力せざるを得なくなる」と。ある者は「直接関係ない分野であるから補助をもらうのは当然だ」と。もちろん、科学者、医学者、化学者・・・の各分野のエリートたちが戦争に協力した大東亜戦争(太平洋戦争)を踏まえてのことであろう。湯川秀樹博士も原爆研究に携わっていたと聞く。中でも、731部隊の一件は政府も、当事者たちも関係者が黙秘を貫いてきた人体実験の部隊であった。731部隊の話が週刊誌で話題になると、また出版されると「嘘だ」「ねつ造だ」と攻撃し、事実を握りつぶしてもきた。国際法上許されない人体実験を彼らは実施してきた。そもそも医者は人の命を救うのが仕事であり、使命である。だが彼らは実験と言う名目で殺人を繰り返した。この事実が、最近、旧ソ連の軍事裁判の記録(テープ)という形で世に出てきた。そして、731部隊の人体実験が明らかになり、事実であるということが明白となった。人体実験に供された人々はマルタと呼ばれた。およそ3000人にも及ぶという。中国人、満州人、ソ連人を日本は匪賊と呼び、マルタにするのは当然だとうそぶいた。731部隊の正式名称は「「関東軍防疫給水部」である。全国の大学から医学、薬学、疫学などの博士たちが集められたが、中でもエリート医学者は京大から11人、東大から6人であったという。疑問はどのようにして?なぜ?どんな実験を?であるが、なぜ?の答えはやっぱり「金の問題」があった。余談ではあるが、姑息で卑怯な奴が名誉とカネを手にする世の中に吐き気を催すのはわたし一人だけであろうか。

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