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2017/06/08(木)
嘘つきたちと清貧、真面目な国民
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首相とか官房長官を初めとする諸々の自民党の大臣たちは嘘が当たり前らしい。今回も森友学園、加計学園問題で図らずも又露呈した。やらせたことはやらせていないと言い、あった文書もないと言う。かのヒトラーの手法を真似ているようだ。嘘も百篇言えば真実になると。全権委任法も国民が気がついたら出来ていたというヒトラーのように出来ないかは財務大臣発言だ。怖い人たちだ。それに比べ貧しき人々は清貧に生きている。正岡子規が評価した橘曙覧(たちばなあけみ)ほどではないにしても清貧にして真面目である。日本人が大人しいと海外から指摘されるのは権力にへつらう日本のマスコミの所為でもあろう。 子規が紹介する曙覧の歌に次の歌があるが清貧さと和歌への研究心が窺える歌である。 (人にかさかしたりけるにひさしうかへささりければわらはしてとりにやりけるにもたせやりたる) 山吹のみの一つたに無き宿はかさも二つはもたぬなりけり 傘を子どもにとりに行かせた時に持たせた歌である。 曙覧の子供たちのように貧困であっても現代にあっては学習したい、努力したい子どもたちには学習の機会を提供するのが政府の責任であろう。それをあたかもやるかの如く見せて憲法改悪の中に加えるのは嘘つきの方便ではないかと思うが如何に。為政者こそ清貧にして真面目でなければなるまいに。
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