たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2016/03/17(木) 草花は心をほっとさせてくれる
卓上に家庭百科と黄水仙  遠藤悟逸  
この頃は卓上に家庭百科を置く人も少なくなりました。家庭百科の代わりにパソコンが置かれています。そしてポンポンとキーを打ちヤフー、グーグルなどで検索してウイキぺデイアで確認です。いいえ、ごめんなさい。スマートホンでした。机もない家庭も多くなっているのではないでしょうか。便利さは人間の脳を随分縮めていくのではないかとも思われます。それにしても機器の移り変わりの速さはとてつもなく速いのです。でも、黄水仙は変わりません。カサカサに乾ききったわたしたちの心を草花はホッとさせ、和ませてくれます。有り難いことです。草花をもっと大切にしなきゃいけませんね。

2016/03/16(水) 答えて子規曰く
大仏のうつらうつらと春日かな  子規
子規の「俳句問答」に次のような問答がある。問・「死木なる人が体の解剖をしている。次は赤裸体、起立体、横臥体などが現れるのか」 答・「死木とは子規のことであろう。何体、何体と分けて俳句を掲げたので手本を示したようにとられたのであろう。しかも悪句に満ちていたので唾を吐きかけたくなったのであろう。只、わたしは冗談で仕事をしていない。拙劣の誹りは受ける。分際を出すぎているところは許してほしい」 子規はこのように軽くいなしていて、子規には珍しく激調で反論していない。大仏のうつらうつらのようであるが、肝心の真面目さと率直さは子規の面目躍如たるところが発揮されているようです。

2016/03/15(火) 目刺の目の炎
かなしけれ目刺の目より炎立ち  北側宝子 
目刺も秋刀魚も高くなりました。目刺は眞鰯、ヒシコの小さいやつを数匹連ねて竹串や藁などを通して干したもの。目のところを刺したものが目刺、鰓を通したものを頬刺といいます。春になると干鱈、干鰈、白子干など昔から庶民の暮らしに欠かせない干物類が漁港などに干されていました。今ではこの風景もずいぶん少なくなりました。乾燥機に入れる工場生産に取って変わられているのです。目刺は貧困の象徴でもありましたが、今は昔の物語となってしまったようです。句意はご覧のとおりです。人間は他の命をいただいて自らの命を繋いでいます。感謝と祈りを忘れてはならないのです。

2016/03/14(月) 黄塵に思う
湯浴みつつ黄塵なほもにほふなり  相馬遷子 
春になり、雪も溶け、霜も無くなると疾風に砂塵が舞うようになる。子供の頃はよくこれで目に砂塵が入り、痛めたものだ。母に「まぶたは何のためについているのか」とよく叱られた覚えがある。作者が句を作った頃は黄砂が舞ったであろうが、今ではPM2・5までもが中国より飛来することになってしまった。中国の経済発展の負の遺産だ。日本も以前は公害大国であった。経済発展と人の健康、幸せとはどうも相矛盾するようだ。人間の英知で両立は出来ないものであろうか。

2016/03/12(土) 菜の花と戦さと金
菜の花や月は東に日は西に  蕪村 
菜の花はアブラナ科の2年草又は1年草で油菜、菜種ともいう。黄色い十字の花をたくさん咲かせる。種子には40%以上の油が含まれ、昔は灯油用、機械油などに使用された。中国から紀元前に渡来したが、野菜として利用され、油としての利用は17C以降である。
美濃の斉藤道三が油売りから大名になった話は有名である。娘婿の織田信長が濃姫のために黄金の岐阜城を創ったというフロイスの記録が正しかったと最近の発掘で確認された。蕪村の句はそんな戦と金にまつわる話とは違って雅趣に富んだ句である。

2016/03/11(金) 憤怒佛
啓蟄や指反りかへる憤怒佛  加藤楸邨
啓蟄は毎年3月6日ごろである。土の中で冬ごもりしていた虫が姿を現すという。今年はこの日田んぼを耕した。少し暖かった。トラクターにエンジンをかけ、走らせた。すると、カラスにスズメにキジバトなど多くの鳥たちがやってきた。耕した後の土にしきりに口をだしている。やっぱり啓蟄なのだと実感した。カラスは土から飛び出してきた蛙がお好きなようだ。そこで加藤氏の句意であるが、彼はお寺にお参りに行ったに違いない。仏さまが憤怒の形相をしていらっしゃる。何を怒っていらっしゃるのか。間もなく原発事故から5年も経つのに収束したと大見得を切りながらなんら収束していない福島の事を怒っていらっしゃるのではないだろうか。

2016/03/10(木) 春の雷(らい)
下町は雨になりけり春の雷  子規
雷が春に鳴ることは少ない。おこっても一つか、せいぜい二つくらいで聞き逃すことも多い。それだけに趣が深い。昨日は終日雨でした。もしや?と思い、期待していましたが、期待は裏切られました。しかし、田んぼや畑には慈雨でした。これで良しとしようと思いました。
畑には慈雨となりけり春の雨

2016/03/07(月) 多喜二忌
多喜二忌や散歩にステッキ置いてゆく 健志朗
小林多喜二は1903(明36)年12月に秋田県で小作農家の二男として生まれた。4歳の時、伯父の計らいで家族が小樽へ移住。小樽商、小樽高商(現小樽商大)卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に入社する。このころ5歳下の恋人・田口タキと出会う。世の中は関東大震災あり、女工哀史あり、山東出兵あり、金融恐慌ありという激動の時代の中、1927(昭2)年芥川龍之介が自殺した。翌年普通選挙法が実施された。と同時に、この年、第2次山東出兵、第3次山東出兵が行われた。多喜二は拓殖銀行を辞め、共産党の候補者の応援をしていた。そして、3・15事件(共産党員大検挙)が起こされた。彼はこの経験を題材に「1928年3月15日」を執筆し、「戦旗」に発表した。これが余りにもリアルであったため特高警察は憤激した。1933(昭8)年2月20日は多喜二が寒中丸裸にされ、拷問死させられた日だ。太いステッキで叩かれたとの証言がある。2月20日はこうして多喜二祭又は多喜二忌として権力の横暴を許さない、忘れてはならない日とされている。

2016/03/03(木) 日々寒さに耐えて!
麦踏や寒さに耐えて小刻みに  西山泊雲 
麦の芽は霜のために根が浮き上がったり、伸びすぎたりします。今朝も大霜でした。そこで麦踏みをします。茎や葉の成長を一時止めて根をたくましく育ててやるためです。寒い時期にこの数度の麦踏み作業はとても辛い作業でもあります。わたしも一度植えましたが大変でした。今、労働環境が変えられ、パートや非正規の労働者が増え、厳しくも寒い状況となっています。春から夏に向けてたくましく育つ麦のように自らの環境改善をがんばってほしいと思います。同一労働同一賃金、賃上げ、人間らしい労働環境を目指して。

2016/03/02(水) 野火を打て
少年に獣の如く野火打たれ  野見山朱鳥 
田舎では野焼きが行われています。後楽園でも行われました。冬枯れの野や土手の枯れ草を焼き払い、害虫駆除をするとともに草木灰は肥料になります。一年の最初の農事でもあり、早春の行事です。しかし、火の勢いが強くなりすぎると人の手に負えなくなります。この句の野火は手に負えなくなりそうになった野焼きの火です。獣のようだと比喩しています。この火を消そうと少年が必死に棒で叩いて消そうとしています。今年の参院選から18歳以上の少年にも選挙権が与えられます。この権利を大事にしていただいて野火の如くに横暴を極めている現政権を棒で叩いてその勢いを消して欲しいものです。

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