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2016/11/07(月)
日露の領土問題について(7)
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日独伊三国が引き起こした第二次世界大戦の戦後処理の大原則を連合国は「領土不拡大」とし、何度も繰り返している。それはドイツに対する過酷な制裁が第二次世界大戦を引き起こした反省によるとされているが、日本の場合も1943(S18)年のカイロ宣言で「同盟国は自国のために利得を求めず、領土拡大の念も有しない。日本は暴力及び貪欲により略取した地域から駆逐される」などの方針がだされた。この方針は民主主義の理念に合致するものであった。この大原則に照らせば千島列島は日本の固有の領土であり、暴力及び貪欲により日本が略取した領土でないことは明らかである。ロシア側からすれば大陸と直接つながっている樺太が日露和親条約で日露両国の共同管理下にあることは漁業、産業、軍事などの面において面白くなかった。そこで1875(明8)年に国境を画定しようということになり、千島・樺太交換条約が締結された。樺太はロシア、千島を日本領とし、カムチャッカにおいては日本の漁業権を定めた条約である。国後島、択捉島はもともと日本領であり、交換した領土は得撫(うるっぷ)島、北千島諸島、占守(しゅむしゅ)島と樺太である。カイロ宣言の大原則によれば占守島までが日本領であって然るべきものである。そうであるのに何故?
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