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2016/11/09(水)
日露の領土問題について(9)
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テヘラン会談の直前に米英中三国の首脳会談が開催された。「日本の侵略を阻止し、無条件降伏をさせること。そして、第一次世界大戦以後日本が略奪した太平洋諸島の領土はく奪、台湾、満州の返還など日本が暴力・貪欲により略取した地域から駆逐すること。連合国は領土を拡大しないこと」などが確認された。領土不拡大を原則とするカイロ宣言である。当然この時点では南樺太、千島列島は含まれてはいなかった。この後、開かれたのがテヘラン会談である。ルーズベルトとチャーチルは1944(S19)年5月までに欧州第二次戦線を開始することを約束し、スターリンはドイツ敗戦後対日戦争に参加することを約束した。そして、その見返りとしての要望は後に明らかにすることとされた。これによりカイロ宣言の領土不拡大が破棄されることになったのであるが、アラブの人々を騙したと同じく英国と米国はここでも二枚舌を使ったのであった。同年12月14日、スターリンは南樺太、千島列島などの領有を要求した。これが後のヤルタ協定に盛り込まれる事になったのであった。
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