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2016/11/12(土)
日露の領土問題について(12)
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ソ連第二極東軍は日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏を表明する玉音放送がおこなわれた4日前の8月11日に日ソの国境を越え南樺太に侵攻した。そして、8月25日に南樺太を占領した。既にトルーマンと千島列島をソ連領とする了解を得ていたソ連は9月1日までに択捉、国後、色丹を、5日には歯舞諸島を占領した。一方、カムチャッカからは8月18日に第1極東軍が千島列島に侵攻した。23日まで日本軍守備隊と交戦し、日本軍が勝利したが、玉音放送で敗戦が確定していたため日本軍は武装解除。8月31日には得撫島以北の北千島はソ連軍の制圧下に置かれた。こうして翌年の1月29日、GHQ指令第677号により南樺太、千島列島、歯舞、色丹などの地域の日本の行政権が停止され、ソ連の行政管轄区域となった。2月2日、ソ連邦最高会議指令でサハリン島南部(南樺太)及びクリル諸島(千島列島)は1945年9月2日に遡ってソ連邦の領土であることが宣言されたのであった。当時日本国民はおよそ1万7千人住んでいたが、直ぐに本国帰還は許されなかった。この年の12月、GHQとソ連の間で日本人の引上げが合意されて後、3年後の7月までにはほぼ全員が帰国出来たのであった。しかし、GHQの指令により日本国籍を離脱していた朝鮮の人たちはその後も帰還出来ず、多くの方々がサハリン(樺太)に移住することとなった。罪なき人々のこうした苦しみを生み出した戦争の責任は一体誰が背負わなければならなかったのか。未だ未解決のままであると思われる。
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