たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2016/01/27(水) 永き日の暮れんとするやまだ国会
地方創世の表舞台に出てきた省庁の地方への移転についての検討。文化庁を京都へ。消費者庁を徳島県神山町へ。中小企業庁を大阪へ。・・・・・。本当にそうなるのだろうか?なんにも問題なく国会審議が午後5時で終わると思っているのだろうか?5時に終わっても徳山から東京へ出て国会審議に携わっている人はその日のうちに帰ることは困難だろう。ましてや深夜に及ぶこともあるだろう。わたしの市議会議員の短い経験でも徹夜審議はざらにあった。市民の暮らしを思えば、正すべきは正さないといけません。いつまでもだらだらと日延べをした議論とはならないのです。ましてや国民の生命、財産に係る議論をすべき国会です。甘利大臣の献金疑惑を「はい、5時がきました」で見逃すことが許されるのでしょうか。ありえない話です。5時を過ぎても議論となれば、関係官僚は「国会待機」が当然でしょう。また、地方へ追われた官僚は「あ〜あ、俺は都落ちか」と思うのではないでしょうか。自分で答弁できない大臣や長官がいるのですから、質問原稿に答弁の付箋を貼り付けたファイルを持っての国会待機は当然なのです。ホテル住まいの経費も馬鹿にならないでしょうし、家族との折り合いが悪くなってもいけません。日本国全体の在り方を再検討し、納得ずくのミニ遷都ならばまだ許せます。

2016/01/26(火) 憲法9条にノーベル平和賞を
ふと深き恐れを覚えぢっとしてやがて静かに臍をまさぐる 啄木
憲法9条改悪を公言する自公・安倍政権。今まさに日本の社会は閉塞状態。この「深き怖れ」に対し、大分の宗教者や9条の会メンバー、弁護士らが「憲法9条にノーベル平和賞を」と実行委員会を立ち上げました。この記事は一昨日のクリスチャン新聞に報じられていました。共同代表の伊藤真弁護士は「安倍晋三首相はアメリカの犬のようだ。集団的自衛権を使って日本をどこででも戦争できるようにした。”敵が自分たちを狙っている”と吹聴する姿はナチスの参謀がしたことと同じだ」と警告し、「憲法9条という理想に現実を合わせていくことが大切だ」と話しています。牧師である佐々木淳二氏は「クリスチャン新聞を通じて講演会が実現した。今年の参院選でどう広げていくか、若い人たちにどうアピールしていくか、話し合いたい」と抱負を語っています。そうだ、そうだ。オバマや佐藤栄作にじゃなく、憲法9条こそノーべル平和賞をもらうべきなのだ。がんばれ大分、がんばろう岡山なのだ。

2016/01/25(月) 竹垣も筧も雪や鄙の家
今朝は資源化ごみの当番でした。昨夕準備に行き、今朝は6時45分から8時半までお役目を果たしましたが、まあ寒いこと、寒いこと。今朝5時半に戸を開けて外を見ると、真っ暗闇の中に家の灯りが届く範囲は真っ白です。6時半に表に出てみると路面は雪に覆われています。車か徒歩か、悩みましたが、車にしました。恐る恐るそろそろと前進。運転を誤ると川へ転落です。やっと資源ごみ集荷場所へ。昨夜持ってきた方が多かったのでしょう。ビンや新聞紙などたくさんあります。今朝持ってこられた方は一人だけ。暇なので辺りをうろうろ。鳥が椿の雪を落としたり、風が吹くと向かいの山の竹から雪がばらばら落ちてゆきます。人が住まなくなった家の崩れた屋根から雪が中に落ちて降り積もっています。2軒先の家の庭の竹垣にも畑にも雪が積もっています。筧(かけひ)という水を送る施設も水が氷ってその上に雪が積もっていました。田舎家ですから屋根の雪も隣の瓦屋根とは積もり方が違って見えます。寒かったのですが、収穫もありました。でも、雪中ごみ当番は一度で結構毛だらけ猫灰だらけですね。

2016/01/23(土) 蝋梅にそとささやきし富士登山
今、日近花木園の黄色い蝋梅が見頃です。総社・砂川公園の紅梅もきれいです。砂川沿いの松林も昔昔の街道を歩いているようで映画のロケに使えそうです。この松林を抜けるとおよそ一里で鬼の城に着きます。砂川沿いの上り坂です。ここで少し足腰を鍛えようかなと思っています。目指すは富士登山。そこで帰り道にある日近花木園の蝋梅に富士登山をそっとささやいておきました。この花木園の上に隣接する安養寺は茶祖といわれる栄西禅師の修行されたところですから、もちろんそちらを向いて。砂川公園の紅梅にお願いしても良かったのですが、華やか過ぎて性に合わないことと鬼の城にお願いするのは少し違うのかな、と思ったからです。せめて週に一度くらいは鬼の城巡りをしたいなと願っています。

2016/01/20(水) 何気ない日常の幸せを大切に
今朝は6時半過ぎから雪がずんずん降り始めた。みるみるうちに積もり始めた雪を周りの山々の樹木は静かに受け入れている。紅い花を今にも咲かせようとしている庭の椿も静かに受け入れている。見ていると、椿の花のほころびはじめた蕾の上にも雪が積もっているのですが、しばらくすると重みに耐えかねて積もった雪がはらりと落ちてゆきます。すると、下を向いていた椿の紅く咲き始めた蕾がつんと跳ね上がり、紅い顔を見せてくれるのです。おおっ、と声をだしてしまったのです。この一瞬の何気ない幸せが大切なんだと思えました。
しばらくは雪積む椿つんと紅

2016/01/19(火) 美しい日本語の継承を
ギリシャ人が残した詩・演劇・物語・歴史・哲学等々の素晴らしい遺産は文字とともにわれわれ人類へのかけがえのない贈り物です。ギリシャ文字はローマ字、つまり現在のアルファベットの源になったといわれています。こうして、BC3世紀ごろに19の記号をもつローマ字が生まれ、キケロが生きていたBC1世紀ごろにXとYが加えられたといいます。今なお文字を知らない人がこの地球上に2人に1人はいるといわれていますから、識字教育の重要性は改めて言う必要はないはずです。国連の重要課題としてとりくんでほしいものです。あのマララちゃんが訴えている女子教育と同じくらい大切な課題ではないでしょうか。人類は長い長い時間をかけて印刷術を発展させ、印刷機を発明、進化させてきました。今や猛スピードでさらに大きな変革の波が押し寄せています。インターネットはこれまでの紙と印刷の世界を一変させようとしています。だからこそ、それぞれの母国語を大切にすることが重要だとわたしは思います。われわれ日本人にとって大切なことは美しい日本語を継承することです。この先百年経ったら美しい日本語が無くなっていたということにならないように。英語教育ももちろん大切です。しかし、日本語を無くしてしまわないことも大切だとわたしは思います。

2016/01/18(月) ギリシャ人の母音表記
ギリシャ人はフェニキア文字の系列には母音の表記がなくてとても困っていました。そこで、アラム語のギリシャ語にない子音の記号を借りてきて母音の表記にしたのでした。A−アルファ、E−エプシロン、O−オミクロン、Y−ユプシロンの4文字はこうして誕生したのでした。そしてその次にI−イオタがつくられたのでした。こうしてギリシャ人はBC5世紀には17の子音と7つの母音からなるアルファベットを持つことになりました。文字には大文字と小文字があり、大文字は石に文字を刻むときに使い、小文字はパピルスや蝋盤に書くときに使われたといいます。また、ギリシャ人は石に蝋を塗り、鉄筆で書いたり、消したりもできるようにしていたようです。ギリシャ人は安価な素焼きの陶板によく文字を書き、「オストラコン」と呼ばれる陶器のかけらがたくさん残されています。ギリシャ独自の民主制を知る「オストラシズム」は有名ですが、民主制にふさわしくない人物を投票する「オストラコン」で追放された市民もいたようです。このようにして造られたギリシャ文字によってBC5世紀から4世紀にかけて詩、芸術をはじめとする文学をあらゆるジャンルにおいて花開かせました。

2016/01/10(日) フェニキア文字には母音がなかった
アルファベットの生みの親、フェニキア文字には子音のみで母音の文字がなかったといいます。ヘブライ語やアラビア語などのセム語系の言語は子音が多く、母音が少なかったようです。言葉として母音の無いことは考えられません。読むものにとっては不便だったに違いありません。紀元前8世紀ごろのアラム地方(現在紛争地となっているシリア)にフェニキア文字とよく似たアルファベットが出現しています。旧約聖書などの写本・「死海文書」はこのアラムの文字で書かれていました。アラム文字を母体として古代ヘブライ文字が生まれ、旧約聖書のほとんどはこの文字で書かれていました。どちらも同じく右から左へと母音表記なしに書かれていました。アラビア文字もヘブライ文字と同じようにフェニキア文字から生まれました。コーラン(イスラムの預言者ムハンマドに下された神の啓示)はアラビア文字で650年ごろに書かれています。キリスト教徒は文字あるいは文書とは「聖書」を指し、「コーラン」もまた神の文字であったのです。読めなくても崇められた書物であり、文字でした。このような状況の中で、ギリシャ人が母音を考え出し、母音を表記したのでした。母音の多い音声言語であったギリシャ人にとってはよほど使いにくい文字であったに違いありません。

2016/01/07(木) 迎春 文字の革命・アルファベット
紀元前1500年ごろ文字の歴史に革命が起きました。長い歴史の経緯はあったものの、ローマ字とアラビア文字から多くのアルファベットが生み出されていったのです。発祥の地は地中海東岸のフェニキアでした。フェニキアは海洋民族で航海の技術に優れ、地中海沿岸諸国の多くを植民地としていました。メソポタミア地方で生まれた楔形文字、古代エジプトのヒエログリフ、そして漢字はいずれも物の形が文字の元でした。楔形文字を覚えるには最低でも600字、ヒエログリフも数百字、漢字ときたら数千字といった具合に文字を覚えるための苦労、労力は半端ではありません。この苦労や労力をもっと他の作業や研究に使うべきだとの意見は今でも投げかけられています。アルファベットの26文字はこれらに比べれば文字を覚えるという作業、労力ははるかに容易になっています。では、なぜ、アルファベット文字が普及したのでしょう?例えば、現在でも解明されていない古代ギリシャ文字を見てみると、紀元前2千年紀には文字があり、粘土版なども残っています。しかし、前千百年頃にドーリア人が侵入し、文化は破壊されました。そして文字も消滅しました。以後、3、4百年後にフェニキア文字がギリシャ中に広まりました。フェニキア人は商取引が巧みでこの交易を媒介にしてフェニキア文字は地中海沿岸に広まっていったのでした。


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