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2015/09/29(火)
痛みの共有
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毎夜午後8時になると岡山空港を西に飛び立つ飛行機の機体の光がが見える。どこに行くのだろう?西なのだから九州?、いいえ沖縄かも知れない。いえいえ、西に飛び立ってから東とか、南に方向を変えるのかも知れないなどと推測する。調べればすぐわかるじゃない、という人がいるが、そこは生来の無精者。西から南へ、沖縄だと勝手に決めつけた。沖縄県糸満市の平和記念公園の「平和の礎」が頭に浮かんだからだ。礎には70年前の沖縄戦で犠牲になった24万人の名前が碑に刻まれている。岡山県出身者は1837人である。だが、シベリアで苦難を強いられた旧ソ連抑留者、南樺太(現在のサハリン南部)、満州(現在の中国東北部)をはじめ戦後70年経っても不明の死亡者がいることに驚きを禁じ得ない。戦争で死亡した人、家や仕事を失った人、親や兄弟を失った人、満州の地で親兄弟に捨てられた人などの被害補償は旧軍人を除いては補償されていない。だが天皇一家は生活まで保障されていることに違和感を覚える。沖縄県民の痛みは今なお続いている。わたしたちはこの方々の痛みをどうして差し上げればいいのだろう?
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