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2015/05/02(土)
狗奴国・熊曽国・肥後・熊本県
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今日も快晴だ。今しばらく小平氏のご意見に耳を傾けてみよう。彼は「筑紫国は筑前・筑後。豊国は豊前・豊後。肥国は肥前・日向・大隅・薩摩。熊曽国は肥後」であったという。肥後国球磨郡(現・熊本県球磨郡人吉市)及び大隅国曽於郡(現・鹿児島県曽於郡西部及び姶良郡東部、国分市)が和同6年(713年)に日向から律令時代の行政区画により分離された経過から見ると、大隅半島及び鹿児島市の近くまでの領域と熊本県球磨川流域は肥国(後の日向国)であったということになる。肥後(熊本県)という「肥」のつく名は後につけられたもので、名は残されなかったのだという。なぜならば、熊曽国は大和朝廷に敵対したためだと主張する。(吉備国=吉備津彦はなぜか?との吉備国名に違和感をもつわたしとしては納得がいく主張ではある)この熊曽国が魏志倭人伝にいう卑弥呼に敵対した狗奴国であると彼は比定する。では、海神様の宮殿はどこにあったのか?宮崎県(日向国)には高千穂の名が二つある。延岡市から五ヶ瀬川を西へ遡った処と宮崎市から大淀川を遡った(都城市の更に西)処だ。宮崎市の北、大淀川と一ツ瀬川との中間には「住吉」という地名が見える。大阪の住吉と同じ地名だ。大阪の住吉には海の神様がお祀りされている。なにか関係がありそうな気がするのだが?どうだろう?
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