たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2015/04/01(水) 金印・漢委奴国王
調べてみるにどうも古代には花見の宴はなかったようだ。神様に捧げるお神酒はあったと思われる。さて、昨日触れたところの「漢委奴国王」の金印のことであるが、わたしは「かんのわのなの国王」と習った記憶がある。ところが「いと」と読むべきだ。伊都国のことだ、という説もある。どちらが正しいのだろう。「金印」は江戸時代の天明4年(1784)に筑前国那珂郡志賀島村(福岡市東区大字志賀島)の百姓・甚兵衛が志賀島の「叶の崎(かなのさき)」で発見したとされる。中国の史書「後漢書」に、後漢の光武帝が中元2年(西暦57年)に倭奴国が朝貢し印綬したとあるので、志賀島で発見された「金印」はこの「印綬」だとされている。印面一辺約2.3cm、質量約109gで国宝に指定され、現在は福岡市博物館に収蔵されているとのこと。行って見たいものだ。だが、この金印には多くの謎があるとされている。まずその第一は偽物説だ。しかし、この説は今から約30年ほど前に覆された。1956年に中国の雲南省で「テン王印」が発見された。それは「漢委奴国王」と同じ蛇紐の金印であった。1981年に江蘇省で発見された「廣陵王璽(こうりょうおうじ)」は字体や形状が同じであり、同じ工房で作られたと比定された。これによりこの金印は本物だと比定されたのであった。それでは「委」はワと読むのか、イと読むのか?「倭の人偏を省略した」印字なのか?それともそのままの「委」なのか?果たしてどちらが正しいのだろう?


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