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2015/03/30(月)
晴れの日は津島遺跡に
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津島遺跡をご覧になった方も多いかと思います。津島遺跡は岡山県総合グランド内陸上競技場の西手、武道館の東手に当たる中間にあります。弥生時代前期の集落と水田が隣接して発見された例は全国で初めてです。集落を設けた微高地の周辺と湿地の間に3〜5アールのごく狭い範囲に水田が作られていました。この水田と湿地の境には杭列、微高地との境には矢板の列で区画されています。方形の区画は認められていませんが、この水田とは別に畦畔で区画された弥生前期の水田が広範囲にわたって検出されています。また、弥生時代後期の河川跡からは建物の部材などを含む木製品も多数見つかっています。そこで、1971(昭和46)年に国史跡指定及び2002(平成14)年に追加史跡指定され、集落域と水田域の整備が為され、竪穴住居や高床倉庫のほか湿地や水田部分が2009(平成21)年3月に完成しています。竪穴住居は内部の見学が可能ですし、出土品は陸上競技場メインスタンド内の「遺跡&スポーツミュージアム」に展示されています。弥生時代前期のこれらの水田跡遺跡は北九州に続くものとして吉備国の国力を示すものでもあります。否、このころは津島国であったかも知れません。晴れた日などにぜひお出かけください。そして、貧富の差や身分の差、あるいは奴婢の出現、クニや王の誕生などに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。わたしは国力が豊かであった吉備国が出雲や九州と違ってなぜ古事記や日本書紀に記載されなかったのか、と不思議に思っています。大和政権と敵対した熊襲国と同じように大和政権に敵対したから排除されたのではないかと思います。温羅とは鬼ではなく吉備国王だったのです。あなたもそう思いませんか。
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