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2015/03/27(金)
古代日本列島弥生人へと進化
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最新の研究で日本列島への水稲耕作技術の伝播年限が早められ紀元前5世紀中ごろとされている。ではそのころの中国や朝鮮半島はいったいどのような状況だったのだろうか?紀元前12世紀に殷王朝の王族である箕氏が朝鮮の地を治め、後に周王朝(前1046建国)が侯国に封じたとある。しかし、前770年から前221年に秦王朝ができるまでの約550年間は春秋戦国時代であり、中国国内は戦乱の時代であった。朝鮮半島は侯国に封じられたままの状態で箕氏朝鮮が前194年まで続いている。そのため周王朝との関わりは低かったと思われる。また、箕氏朝鮮は伝説上の王朝との説もある。そのためわたしは水稲耕作技術が朝鮮から伝来したと比定する説の確率はかなり低いと思っている。春秋戦国時代の戦乱から中国中南部の人たちが日本列島へ逃れてきたのではないかと思っている。径路はともかくこうして水稲耕作技術が伝えられると、彼らと一緒に暮らすなかで古代日本列島縄文人は彼らと混血し、古代日本列島弥生人へと進化していったのではないだろうか。縄文時代人は背が低かったと言われているが、弥生人へと進化することで身長も伸びたのではないかと思える。
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