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2015/03/25(水)
灘崎では稲作を6千年前からやっていた!
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弥生時代は水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住したことにより始まるとされています。弥生時代とは北海道、沖縄を除く日本列島の時代区分の一つです。およそ紀元前3世紀中ごろ(異説あり)から紀元後3世紀中ごろまでの時代の名称です。しかし、しかしです。わが家の近くの総社市南溝手遺跡の縄文末期の土器片の中からプラント・オパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が1994年に発見されています。さらに、真庭市美甘姫笹原では4500年前の土器からプラント・オパールが発見されています。そして、なんと!今は合併して岡山市となった灘崎町では約6000年前の地層から大量のプラント・オパールが見つかっているのです。これらの新しい発見の結果、少なくとも約3500年前からすでに陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作がおこなわれていたという学説が多数発表されました。また、水稲(温帯ジャポニカ)も縄文晩期には導入されていたいわれ、現在では稲作の開始時期が確定できない状況になっています。それならば、縄文式土器から弥生式土器への移行が弥生時代への移行でいいじゃないかというのですが、これについても東日本では弥生式土器と縄文式土器の区分が不明確であり、編年の基準としては使い難い状況になっているのです。(最近では式を省略する)はてさてどうしたらよいものやら。いやいやそれはともかく今年の田植えの準備を始めなければなるまいてと思いつつ、でも、でも、次は少しばかり稲作について考えてみようと思い直してしまうのです。困ったものですね。
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