たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2015/12/30(水) 漢字について(3)
漢字の組み合わせの素晴らしさはどうでしょう!「休む」は木のたもとに人がいるので休んでいるのです。「好き」「好む」は女性が子どもを抱いてあやしている様子です。中国では「清らかな様子」を「セイ」と呼んだ。そこで水ならば「清」、お日さまならば「晴」、もともとの「青」が詠みであり、井戸の傍に新しい木の芽が生えたことを指したといいます。周が混乱すると、各地で漢字が独自の発展をし始め、春秋戦国時代になると地方ごとに使う漢字が違ってきたのですが、秦の始皇帝が諸国を統一し、文字の統一に着手しました。しかし、文字が難しかったために、漢王朝の代になって、下級役人が使えるように(全国を支配するためには命令の伝達が早く、正確におこなわれる必要があったのではないか)、例えば曲線を直線化するように、簡素化された。ここから漢字と称されるようになった。つまり、文字が一部の特権階級のものでは無くなり、広く国民のものとなってゆく機運となったのでした。日本の漢字は基本的に隋・唐の時代の漢字が基本となっています。そこで中国の漢字とは現在ではずいぶんと違ってきています。では、アルファベットはどのようにしてできたのでしょう?

2015/12/29(火) 漢字について(2)
もっとも古い漢字は殷の時代に占いに使われた文字だとされている甲骨文字です。亀甲獣骨文とも呼ばれています。これ以前にも文字は存在していたと思われますが、よくわかっていません。占いは亀の甲羅や牛の肩甲骨などの裏側に小さな窪みを穿ち、そこに火で熱した金属棒(青銅製といわれている)を差し込むと表側に「ト」型の亀裂が現れるのでその亀裂の形で吉凶を占ったといわれています。その占いをした甲骨にその内容、結果をしるしたものが文字ですが、物を見たままの絵あるいは象形文字だったようです。この絵文字が様式化されてゆき、漢字となっていったのですが、今なお漢字にはその絵文字の痕跡がのこされています。特に、簡単な文字である「田」などはそのままです。鳥もそうです。こうしたことから「漢字は詩的」であるといえます。文字の歴史は初めは同じで絵が様式化され、文字となっていったのです。しかし、漢字がこのように今でも漢字が絵的である要素をもっていることはとてもすばらしいことだとわたしは思います。また、漢字の素晴らしさはその組み合わせにもあるようです。

2015/12/28(月) 漢字について
中國では紀元前2千年紀に文字が発明された。千五百年ごろに記号としての体裁を整え、紀元前202年から紀元後220年まで続いた漢王朝において文字としての体系が定まったので漢字という名が使われている。漢字は現代も使われている文字の中ではもっとも古く成立した文字である。また、漢字はもっとも文字数の多い文字体系であり、その数は十万文字をはるかに超えている。しかし、通常の識字は中国では3千から4千字を知っていれば十分と言われている。最近、中国も含めて仕事をされていた香港在住の友人のお嬢さんとお話しする機会がありましたが、地域により話す言語が全く違うが、漢字を書けば通じるとお聞きしました。漢字の有難さを痛感します。アルファベットは一つの音を表記する音素文字ですが、漢字は一般的にそれぞれが個別の意味を持ちながら音節に対応する文字となっています。現代の中国語の単語は大部分が二つ以上の漢字を組み合わせたものとなっています。日本も古代中国から漢字を輸入し、ひらがな、カタカナを工夫発明して使っていますが、韓国ではハングルなどの漢字以外の表記も併用されていました。しかし、最近では漢字はほとんど用いられなくなっているようです。北朝鮮やベトナムは漢字使用を公式にやめました。でも、漢字って面白いですね。田畑という漢字は田は中国でももっとも古い感じの一つですが、畑は日本で作られた漢字です。田んぼに火が燃えているのですから「焼き畑農業」を意味していたのでしょうか。

2015/12/11(金) 猫の起源はリビアヤマネコ?
古代エジプトの石板などには猫がよく登場します。紀元前1450年ごろ(第18王朝)からですが、この当時ヤマネコから飼い猫へと変化したといわれています。また、「バステト」と呼ばれる猫の女神とされる狂信的宗教(カルト)にまで発展したものもありました。ギリシャの歴史家・ヘロドトスはその神殿のあるブバスティスを紀元前450年に訪れたとその著書「歴史」の中にその熱狂ぶりを記しています。70万人もの巡礼者がナイル川沿いに船を使ってブバスティス神殿に集まったということです。古代エジプトでは多くの人が猫を飼い、その猫が死ねば家族全員が眉を剃り喪に服したといわれています。しかし、これまで猫が家畜化したのは古代エジプトが最初といわれていましたが、それが間違いであることが最近判明しました。それはキプロス島の新石器時代の遺跡がこれまでの見解を覆すことになったのでした。それは9500年前のシルロカンボス遺跡から2004年に子猫と人が一緒に、しかも同じ方向に埋葬されているのが見つかったのです。子猫は推定生後8か月のリビアヤマネコでした。しかし、リビアヤマネコはキプロスには生息していなかったのですが、ではどこからやってきたのでしょう?どこで家畜化が始まったのでしょう?

2015/12/08(火) ロゼッタストーン
ロゼッタストーンとは1799年にエジプトのロゼッタで発見された石板である。紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスでだされた勅令が刻まれている。昨日書いたように3つの文字(ヒエログリフ、ギリシャ語、デモティック)が書かれていた。この碑文を1822年にシャンポリオンが解読した。これによりヒエログリフが理解される鍵となり、他の古代エジプト語の翻訳が次々とおこなわれた。もともと神殿にあったこの石板はローマ時代あるいは中世のある時期にロゼッタ近郊のジュリアン要塞建造のために持ち出され、使われた。ところが、1799年7月15日、ナポレオンがエジプトに遠征した際、フランス軍のブシャール大尉が発見した。この石碑に二つの言語が刻まれていたことから民衆の関心の的となり、古代エジプト語解明への期待が高まることとなった。その後、フランス、イギリスをはじめ、この石板は国家間の争いの種となったのだった。

2015/12/07(月) 右から左へ
古代エジプトにおいてパピルスの上にヒエログリフという文字を書く作業は大変な根気と緻密さが要求されたといいます。美しくとても凝った書体は早く書くことに無理があり、そこで早く書ける草書体が同時に考案されていたようです。ヒエラティックは神官が使う文字、デモティックは民衆が使う文字といった具合に。右から左へと読んでいくようです。デモティックはエジプトの日常生活で使われたとのことです。日本も以前は右から左へでしたが、今は逆に左から右へと欧米化しています。日本の政治は右から左へと戻してほしいものです。さて、家畜を飼い、農耕で生計を立てていたエジプト人が湿地から引き抜いたパピルスを束にして背負い、干場に運んでいるパピルスの借り入れの様子を描いた絵も残されています。干したパピルスを打ち、紙として仕上げてゆくに違いありません。日本の紙は楮や三俣から作られますが、人間の創造性には頭が下がる思いです。また、これらのことを解読したシャンポリオンなどの言語学者にも頭が下がります。シャンポリオンがヒエログリフを解読するきっかけとなったのはあの「ロゼッタストーン」だったようです。「ロゼッタストーン」には同じ内容の文章がヒエログリフ、ギリシャ語、そしてデモティックの3種類で書かれていたのです。

2015/12/04(金) ツタンカーメンの墓に隠し部屋!?
状態の良さから20世紀最大の墓と称賛されたツタンカーメンの墓は1925年に発見されました。ツタンカーメンと義母である王妃ネフェルティティは紀元前14世紀の人。ツタンカーメンの王墓に義母が埋葬されているとの説がありますが、エジプトのダマティ考古相が11月28日、「壁の裏側に隠し部屋がある可能性が高い」と記者会見。調査には日本人も参加しており、得られたデータを日本で分析し、1か月後をめどにその成果が公表されるとのことですが、わくわくしますね。と言うのも、紀元前13世紀の頃から「死者の書」がミイラとともに埋葬されています。一例をあげると次のような内容です。その文章には「死者が復活するまでの詳細」が書かれている。死者の心臓と正義の神の象徴である羽が秤の皿に載せられており、霊魂が裁きの秤にかけられている。裁きの結果次第では八つ裂きにするぞ半獣神が待ち構えている様子などが書かれている、というものです。もし、この部屋に王妃ネフェルティティが眠っており、古代エジプト語ヒエログリフで書かれた「死者の書」などが埋葬されていたとしたら、どんなことが書かれていたのか、興味津々です。この頃のわが日本はまだまだ長く続く縄文時代ですからね。日本の縄文時代は狩猟採集生活でありながら定住していたという驚くべき時代ではありましたが。

2015/12/03(木) 子どもの耳は尻についている
歴史は文字とともにあると言っていい。人間は文字を持つことにより重大な出来事を記録することができるようになった。法律、売買や結婚の契約、神や王に捧げる詩、歴史や冒険の詩、恋愛の詩、寓話などの物語、地理や科学、占い、魔術、医学、薬学、会計帳簿をはじめとする数理、料理、天文や時間の計測に至るまでのさまざまな記述がおこなわれた。こうしてエジプトでは太陰暦に代えて太陽暦をはじめて採用した。以来、1年を365日と4分の1に分割するようになってから5千年が経った。この当時、石に刻み付けた文字とともにパピルスに赤と黒のインクで葦の茎ペンを使って文字が書かれていた。黒インクは煤を水に溶かしてアラビアゴムのような固定液をまぜたもの。赤インクは硫化水銀や酸化鉛が使われていたようです。子どもたちは10くらいで学校に入り、2,3年で卒業したようだ。続けて成人まで勉強するのはその才能を認められたごく一握りの者だけだった。古代エジプトの教育はもっぱら文章の暗記にあったようで、日本の戦後のわれわれが受けた教育と大差ないなと思いました。また、厳しい体罰や落ちこぼれは監禁されたとありますから、われわれの時代のうさぎ跳びグランド3周とか竹ムチや竹刀でのしごきとも変わらないなとの印象を持ちました。「子どもの耳は尻についている。ひっぱたけばよく聞く」との当時の言葉も印象的です。この言葉は母もよく言っていました。「けんじ!頭は叩いたらいけんが、お尻はええんじゃ。言うことを聞きんさい」と何度叩かれたことだろう。5千年も前のエジプトの時代から子どもの教育がこんなに変わっていなかったとは驚きです。今やロボットと人工知能の時代です。子どもの教育方法はもっと進化してもいいのではないかと思われます。


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