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2015/11/03(火)
卑弥呼の鏡
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奈良県立橿原考古学研究所の清水康二主任研究員が三角縁神獣鏡の鏡に残った鋳型の傷から舶載鏡1枚とぼう製鏡3枚が同じ鋳型から作られたことを突き止めた。舶載鏡は中国製で文様が正確であり、ぼう製鏡は国産で文様が簡略だとされ、卑弥呼が中国の魏に使いを送った景初3年(239年)を銘文に持つ鏡があるため魏から卑弥呼に送られた鏡だとの説がある一方、中国では1枚も出土していないことから国産説との間の論争があった。三角縁神獣鏡は古墳時代の早い段階で古墳に副葬された縁の断面が三角形になっているものであるが、日本では500枚以上が確認され、うち、中国で作られたとする舶載鏡が4百枚近くとされてきた。清水さんが3次元形状計測により鏡の精密な画像を分析したところ、傷の具合から舶載とされるヘボソ塚古墳の鏡、ぼう製とされる鶴山丸山古墳、長塚古墳、泉屋博古館の4枚は文様は違うが鋳型が同じと判明した。となれば、すべてが中国で作られたのか、あるいはすべて日本で作られたかということになり、舶載か、ぼう製かの議論は意味がなくなったといえる。さらにわたしには、卑弥呼は日本ではなく、倭とは古の伽耶国であり、卑弥呼は伽耶の女王であったとする山形説の信ぴょう性が増したと言える結果だとも思える。魏が卑弥呼に遣わした鏡は現在の韓国の地に眠っている可能性があるのではないかとわたしは思う。
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