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2015/11/19(木)
ウルク粘土板
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シュメール人が記したウルク市街の大神殿から発見された「ウルク書板」と名付けられたウルクの粘土板は神殿で使われていた会計帳簿だと言われている。そこにはBC4千年紀の神殿の穀物や家畜の数が記入されていた。縦に並んだ記号の繰り返しから帳簿の破片であると実証された。わたしは実物を観たことはないが写真で観ることができた。同じくシュメール人が記したラガシュで発見された「ラガシュ粘土板」にはシュメール人の社会組織がわかる記述があるという。ラガシュの神殿の宗教的共同体は、18人のパン屋、31人のビール職人、7人の奴隷、1人の鍛冶屋を使っていた。当時すでに貨幣が使われていて金を貸して利息を取る人もいたようだ。眼をつむるとパンを焼く人、畑を耕す人、麦を刈る人、ビールの発酵を待つ職人、祈りを捧げる神官、水を運ぶ女性や奴隷を指揮する人などなどが働いている様が浮かんでくるようだ。文字って本当に有難い。だって、6千年前の町の様子が目前に浮かんでくるのだもの。いったい楔形文字はどのようにして生まれたのだろう。この時代の日本は縄文時代のうちの新石器時代。縄文土器を造り、打製石器、磨製石器、骨角器などを使って狩りや魚取り、木の実の採収をして生活していた。文字を知るにはまだまだ時が必要な時代であり、言語文化の時代であった。
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