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2013/07/19(金)
枝川の欅に想う
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枝川の欅が葉をいっぱいに茂らせている。暑い日差しをさえぎるその緑陰は人々に潤いと憩いを供給している。朝夕は明日の活力ために、老いを遅らせるために、健康保持のために、仕事場に駆け足でと理由はさまざまであるが、人々はそのさわやかな梢を通り抜ける風の音に癒されながら人生を楽しんでいる。蝉たちの男のおしゃべりはにぎやかだ。女は静かに気にいる男が現れるまで待っているようだ。女は辛抱強く待つことを知っている。欅の盛りは今だ。夏の力強さは半端じゃない。秋になると欅は色づき、葉をはらはらと落とし始める。こうして裸木となって欅は冬を迎える。身になにも纏わないで雪を受け止め、寒風に耐える。こうして寒さに耐える欅の裸木は人の終末にも相通ずるものがある。金も、名誉も、地位も要らないのだ。一個の人として裸で土に帰ってゆくのだ。輪廻転生。春になって身にまとうあの若芽の新緑の美しさは例えようがないほど美しい。やがて木をおおい尽くした新しい命はわずかの風にもざわめきたち春の日を照り返す。枝川の流れはその命のきらめきを映し、流れゆく。わたしは枯れきった欅の裸木も好きだ。だが、春、夏、秋の煌めく欅に心ひかれるのはなぜだろう。性欲が枯渇していないからかも知れない。
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