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2013/04/07(日)
ちゃんと養生しとけえよ!
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駐車場にするためのコンクリートを打ち終えた後、社長(親方)が若い子に「ちゃんと養生しとけえよ」と命じた。打ち終えた後のコンクリートにコテを当て、美しく化粧したコンクリートが雨に打たれてブデコボコになったり、犬や猫の足跡がついてはたまらないということであろう。若い子はシートを被せる作業にとりかかった。だが、養生という言葉のもつ本来の意味はどういうものであろう。体を労わりなさいという医学的な意味合いがあったのではないかと思われる。貝原益軒は「養生訓」という書物を著わし、日々の生活の心得を示している。運動と睡眠、食事の大切さ、お灸の用い方とその時期など日常生活の生活の心得がこまごまと記されているという。医学知識も今ほど豊かではなく、国民皆保険もない当時としては病気をしないことが家族を含め、生活防衛の最大の手段であったはず。となれば、「自分の健康は自分で守る」以外に術はなかったと思われる。しかし、江戸時代や明治、大正、昭和の時代を問わず、この言葉「自分の健康は自分で守る」は現代のわれわれにとっても大切なことである。「養生」とは毎日の生活を続けながら健康の増進を図ることであり、自分の健康は自分で守る心得にほかならない。この「養生」という言葉がさまざまな作業における「事前の手当」の意に転用されたのだと悟った。わたしは50歳まで、織田信長のようにありたいと願い、「人生わずか50年」と体を労わらず生きてきた。50歳を過ぎてからは「お釣りの人生さ」と体を労わらず生きてきた。「還暦」を迎えて初めて家族に迷惑をかけないようにとスクワット100回を自分に課し、養生を心がけるようにし始めた。今度はいよいよ数え年で「古希」を迎える。高校卒業50年という同窓会の話の中で初めて気づかされた「古希」という言葉の響き。こんなにもはるか遠くへ来たもんだ、と思った。同時に「養生」をしなきゃと思い、「ちゃんと養生しとけえよ」とわたしはわたしに命じた次第です。
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