たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2012/08/10(金) 福島原発事故から1年4カ月(12)
SPEEDIとはいったいなんだったのだろう。事故調の見解は真逆となった。政府及び民間は「住民の避難に活用する余地はあった」「一定の判断材料として利用可能だった」と活用は可能だったとした。ところが、国会事故調は「避難区域の根拠とする正確性はない」と活用は不可能だったと結論づけた。過去30年間にわたる開発に約120億円も費やされたSPEEDIに対し、民間事故調は「結局住民の安心を買う見せ玉で宝の持ち腐れに終わった」と痛烈に批判した。放射性物質は昨年3月15日に第一原発から北西方向に拡散し、福島県飯館村などで高い放射線量が観測された。しかし、こうした事実が知らされなかった住民の中には原発の北西方向に避難した方が大勢いた。公表されたのは事故から12日たった23日であった。SPEEDIとは日本語で言えば、放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムである。この事故が起きた時のために30年間120億円もかけて整備してきたはずであった。消費税増税が今日参院で決まったが、国民の血税ををこのような無駄遣いのために使ってほしくないものだ。福島第一原発事故ではERSSが津波で使えなくなり計算の基礎データが入手できなくなり、原子力安全技術センターは毎時1ベクレルの放射性物質が放出されたとの仮定で計算したとする。仮定にもとづく計算であっても放射性物質の拡散方向や相対的な分布量は予測していたのであるからわたしは活用可能であったと思う。公表の遅れは、住民に被ばくをさせないための住民本位の立場に立たず、自分が将来非難されることを恐れて公表をためらった自分本位の立場に立ったために遅れたのではなかろうかとわたしは推測する。

2012/08/09(木) 福島原発から1年4カ月・・(11)
4つの各事故調は事故後の首相官邸の混乱を浮き彫りにし、初動の遅れや意思疎通のまずさ、福島第一原発への過剰な介入が悪い影響を与えたと分析し、批判している。原子力緊急事態宣言発令の遅れが避難指示などの遅れの原因の一つとなったというのだ。政府が原子力緊急事態宣言を発令したのは3月11日午後7時3分。海江田経産相が要請してから1時間以上経っていたという。理由は管首相(当時)が原子炉の状況や関連法令について繰り返し質問し、発令を認めなかったからだとのこと。ここからは首相をはじめ政府・官僚たちの危機管理の意識と知識のなさが起因していることが覗える。また、官邸では各省庁の局長級幹部が集まった地下の危機管理センターではなく、意思決定の場が地下中2階の1室や5階の首相執務室となったことから、十分な情報がないまま意思決定せざるをえない場合も生じたと報告している。菅首相が危機管理センターにいないために情報が伝わらなかったのか、それとも経産省、文科省、原子力安全・保安院が伝えなかったのかは明らかではないが、わたしは双方であったと推察する。
係る緊急事態においては日ごろ安全忌避を貫いてきた東電への信頼は当然ないはずだから情報信頼度が薄い。安全・保安院は東電と一体化していたから当然うろたえる。経産省、文科省は推進派だから事態が呑み込めないし、事態を認めたくないし、うろたえている。信頼できない嘘つき集団、及び個人を関係者から排除する努力が必要であろう。そういう人間を育てない教育が求められるであろうとわたしは思う。

2012/08/08(水) 福島原発から1年4カ月・・(10)
東電は原子力規制づくりを先送りさせたり、軟化させるようこれまで圧力を規制官庁にかけてきた。原子力安全・保安院はこれに迎合してきた。このように癒着してきた東電と規制官庁が水爆事故の責任がないと言えるのだろうか。わたしは断じてアルと言いたい。さらには、今年の春にも、原子力をどう規制するかについて、福島第一原発事故の教訓から核燃料サイクル政策の見直しをすすめる原子力委員会において事前に関係者と秘密協議をして方針をすり合わせていたという。わたしはこの反省のない東電、民主党政府、規制当局などの原子力村の体質に不信感をもたざるをえない。東電が事故から1年以上経った今日においても事故原因の徹底解明、再発防止の意欲すらもっていないことに嫌悪感さえ覚える。東電内部では津波の高さ想定があったが意に介しなかったとする報道もあるが、政府事故調は「(東電は)根拠なき安全神話を前提にしてあえて想定してこなかったから想定外だったにすぎない」国会事故調は「今回の事故は決して想定外とはいえず責任を逃れることはできない」と批判、断定している。東電他電力事業連合の無責任さを改めさせるには電力事業の独占化を止めさせ、分散化すること。原子力発電に頼らない再生可能エネルギー電力供給を増やす方向に舵を切らななければならないとわたしは思う。2030年原子力発電ゼロは当然であろう。

2012/08/07(火) 立秋・福島原発事故から・・(9)
事故時の映像を1年数カ月も経って後に1時間半分編集して報道機関に提供した東京電力の体質は批判されて当然と思うが、調査委員会はどのように判断したのか。見ておきたい。なぜなら、東京電力は経産省、文科省、保安院などの政府規制機関まで同化させてきた嫌らしさをもつ会社だからである。財界と政府の一体化はこの一事をもっても証明できると思われる。それでも各事故調が批判せざるを得なかった東電の体質。それは今なお続いていると言わざるをえまい。政府事故調は「危機対応能力など多くの問題が認められた」。国会事故調は「官邸の誤解や過剰介入を責められる立場にない」。民間事故調は「担当者の安全意識に関する感度が低くなっていた可能性も」。これに対して、東電事故調は「想定事象を大幅に上回る事象を想定できなかった」と事故原因は津波の所為でわれわれの責められることではない、と責任逃れをしている。水爆事故を起こしたという責任に基づく自己反省が露ほども見られないのは東電の体質であろう。さらに言えば、政府も、国会も、民間も「原子力平和利用と言って進めてきた原発の危機管理が出来ていなかった。おろそかにしてきたという」点での視点がまったく欠如している事実にわたしは驚かされる。わたしは、東電も、政府も、国会も無責任だと感じている。

2012/08/05(日) 福島原発事故から1年4カ月・・(8)
福島原発事故からまもなく(あと7日)で1年5カ月となる。なにが解明され、なにが解明されていないのか。原子力発電所というものの認識は今のままでいいのか。これらの諸点を今、明らかにしておかなければならないと思う。まず事実関係を列挙してみよう。1、原子炉建屋が水素爆発で破壊された。2、格納容器が一部損傷した。3、使用済み核燃料プールの冷却が停止。4、原子炉の冷却水位が下がり、炉心が露出した。5、圧力抑制室の圧力容器が一部壊れた。6、水と金属が反応し、水素が発生し、建屋内に水素が充満した。7、復水器からの注水が中断した。8、炉心が溶融した。9、圧力抑制室の一部が壊れた。10、汚染水が漏れ出した、などが主なものである。では、なにが解明されていないのだろう?1、水素や放射性物質はどこから漏れ出たのだろう?2、高圧注水系や非常用復水器はなぜ停止したのだろう?
3、水素爆発の引き金は何だったのだろう?4、溶け落ちた燃料の状態はどのようになっているのだろう?5、汚染水はいったいどこから漏れ出たのだろう?などの未解明の疑問が残る。これに対してそれぞれの事故調査委員会はどのように調査し、報告しているのだろう。まずこれらのことについて考えてみたい。そして原子力発電所の水素爆発が事故として処理されているが、認識が違うのではなかろうか。原子力発電所の水素爆発は水素爆弾を使用して世界に迷惑をかけたと同じ結果なのだという認識が政府にも、関係者にも、マスコミにも欠如しているのではないか。広島や長崎の原爆被災を2度と起こさないと誓った日本でなぜ?の疑問が起きないのか、不思議である。報道管制が敷かれているのではないかとさえ思える事態だ。この認識を改めない限り事故(水爆)はまた起きるだろう。原発ゼロをめざすというのが世界に対して日本が責任を果たす行動ではないか、とわたしは思う。

2012/08/04(土) 福島原発事故から1年4カ月・・(7)
9月に発足する予定の原子力規制組織「原子力規制委員会」は電事連(電力会社の連合会組織)や電力会社、財界、そして政府の影響を排除し、真に科学的・客観的な行政機関となりうるであろうか?初代原子力規制委員会委員長として民主党・野田政権は田中俊一・前内閣府原子力委員長代理を同意案件として国会に提出しようとしている。だが、「原発再稼働や40年廃炉の意思が明確でない」と民主党内からもこの人事は不適切なので反対との意見が根強い。どうなるかは、今後の国会次第だが、いかにも不安を覚えさせる。原子力規制委員会は経産省から保安院の原子力部門を分離し、文科省の関連部門なども一元化すると聞いている。国家行政組織法第3条に基づく独立性の高い「三条委員会」とはいうものの環境省の外局となる組織である。わたしの岡山市での経験から判断を申し上げるのもいかがかとは思うが、あえて言わせてもらうと「機能しないであろう」と思われる。なぜならば、
岡山市では監査委員会、教育委員会など人事権での圧力も含め機能しない組織づくりがされている。仏作って魂が入っていない状況にされているのが実態である。安全行政を貫き、ほんとうに国民の命を守る組織となるには委員長の見識、委員の見識、そして総理がなんと言おうとも、首をかけて国民の安全を貫き通す覚悟と肝っ玉が必要となる。最初はともかくいつの間に・・・という事態が想定される。また、それほどの覚悟をもった安全第一を視点とする学者を委員長や委員にすれば、政府は煩わしくてかなわないだろうからさせないだろう。

2012/08/03(金) 福島原発事故から1年4カ月・・(6)
原子力の安全を担う原子力安全委員会と原子力安全・保安院は事故後、機能不全に陥った。3つの事故調はいずれも二つの規制機関が事故前から能力不足だったと指摘した。そうだとすれば2つも規制機関を設置しながら役立たなかったばかりか、その役に就いていた専門官僚は給料泥棒的存在となる。政府事故調は「過酷事故は起こり得ないという安全神話にとらわれていた」、国会事故調は「規制当局は原子力の安全に対する監視・監督機能を果たせなかった」、民間事故調は「安全文化が十分に醸成されていなかった」と、それぞれ安全規制機関の機能不全を指摘した。過酷事故対策の先送り、電気事業連合会の見解への迎合、安全委員会の存在意義の希薄さなどが指摘された。例えば、05年に制定された原子力規制情報活用検討会は06年に発覚した中国電力の俣野川発電所にからむデータ改ざん問題で審議会は約4年間中断した。10年の電気事業連合会の「過酷事故対策をとらなくても既設炉の安全は十分な水準」との見解に保安院は「事業者の状況を踏まえた検討をすすめたい」と電事連に伝えていることなど最悪の迎合姿勢である。規制官庁と電気事業者との癒着関係が浮かび上がってくる。だが、担当者や電気事業者が処分されたという報道には接しないばかりか、公的資金まで投入をし、値上げで利益を確保させるという措置まで至れり尽くせりの後押しをしている民主党とはいったいなんだったのか?キツネにばかにされた国民が悪いのだろうか?財界タヌキと政界・民自公キツネ連合に日本中がススキ野の舞台にされたようではないか。9月に発足する原子力規制組織「原子力規制委員会」はほんとうに機能する規制組織となるのであろうか。眉に唾をつけてみなければなるまい。

2012/08/02(木) 福島原発事故から1年4カ月・・(5)
東電事故調は「運転操作に必要な知識はあった」「訓練は不足していなかった」と主張している。しかし、政府事故調は「第一原発では現場の判断ミスがあった」と指摘している。また、国会事故調は「原発の現場判断に東電本店が介入した」ことを取り上げた。2号機の減圧方法を考えていた吉田第一原発所長は「弁を開けると原子炉の水位が下がるのでベント(排気)で減圧する方針だったが、斑目原子力安全委員長が弁を開けることを提案、東電社長が斑目案(弁を開ける)をやるよう指示。結果は吉田所長の懸念したとおり水位が下がり、燃料露出の時期が大幅に早まったという。東電事故調の報告書を読んだ政府事故調の畑村委員長は「(自分たちの非を認めると)裁判や損害賠償に絡む。ストレートにものをいえる立場にないのだろう」と推測する。そして、過酷事故への備えがなく、教育訓練が不十分だった東電の組織的問題を重視していた。「1号機は非常用復水器を手動停止したにもかかわらず動いていると誤認し、注水を中断」「2号機ではかろうじて動いていた冷却装置を信頼し過ぎて減圧や他の注水準備が遅れた」「3号機でも減圧が遅れ、他の注水手段を準備する前に冷却装置を手動で止め、注水が遅れた」というように「適切さが欠けていた」と批判した。こうした事実経過から判断すると、現場の初動における判断ミスはあったと思われる。事故原因を率直に反省し、後の対策に役立てようとしない東電に対し、1兆円もの国民の税金を注ぎ込み、経営立て直しを図る民主党の眼鏡は曇っているのではなかろうか。

2012/08/01(水) 福島原発事故から1年4カ月・・(4)
福島第一原発事故直後の状況は 3月11日・14時46分・東日本大震災発生 47分・1〜3号機原子炉緊急停止 15時30分すぎ・約13mの津波襲来 37分ごろ・全交流電源喪失 19時03分・菅首相緊急事態宣言 21時23分・半径3km圏内避難、半径10km内は屋内退避を指示 12日・5時44分・半径10km圏内避難指示 6時ごろ・1号機炉心溶融 6時15分・菅首相ヘリで現場へ 50分・海江田経産相ベント実施を命令 7時10分・菅首相到着、吉田所長らと面会 8時・菅首相が現場を出発 14時30分・1号機でベント成功と判断
15時36分・1号機原子炉建屋水素爆発 18時25分・半径20km圏内避難指示 19時04分・1号機炉心へ海水注入開始 19時25分・吉田所長海水注入中止を宣言、実際は継続
13日・2時42分・3号機高圧注水系手動で停止 11時・2号機ベント開始 3時12分・3号機炉心へ海水注入開始 14日3時ごろ・3号機の炉心溶融 11時01分・3号機原子炉建屋水素爆発 13時25分・2号機原子炉隔離時冷却系が停止 
18時22分・2号機燃料棒むき出し状態確認 19時57分・
2号機炉心への海水注入開始 15日20時ごろ・2号機炉心溶融 (炉心溶融時刻は東電の推定) と報告されている。判断ミスがあったと指摘される現場初動対応はどうだったのか?東電は問題なくおこなったと報告しているが・・・?


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