|
2012/07/31(火)
福島原発事故から1年4カ月・・(3)
|
|
|
政府事故調と国会事故調は同じデータを使用しながらなぜ結論が真逆になったのか?それは小さな亀裂の扱い及び考え方の違いが真逆の結論を導き出していた。では、なにが違うのか?国会事故調は「圧力計で検出できない小さな亀裂であっても10時間ほど放置すれば数十トンの水漏れが起き、炉心溶融に至ると推察」した。その理由は「弁の作動音を聞いた作業員がいなかったことから地震で壊れた疑いがある」「1号機原子炉建屋4階で水漏れを目撃した作業員がいる」としている。政府事故調は「軽微な亀裂やひび割れが生じた可能性まで否定できない」と注記しながらなぜ地震説を否定したのか。なぜ深く検証しようとしなかったのかについて理解しがたい報告内容となっている。経済産業省原子力安全・保安院の見解はどうか?原子力安全・保安院は東電と同じ大津波による浸水で全電源が喪失したとする津波説が判断の源泉である。枝野経産相はほんとうに姿勢がよくない。それはなぜだろう?大飯原発はじめ「原発再稼働」が判断の前提にあるからではなかろうか。この津波説にもとづいて民主党・政府は他の原発での電源車や浸水防止などの対策を不十分ながらも講じさせ、安全だと宣言し、反対する首長を財界の意向に添って抑え、再稼働を決定した。しかし、地震が原因の一つならどうなる?地震が原因であれば原発の機器や配管の補強工事などの対策を講じなければならない。大飯原発再稼働決定は延ばさざるを得なかったはずだ。原発立地場所における活断層問題での地震の影響に目をつぶってまで決めた「原発再稼働」は、マスコミが「決められない政治は問題だ」と揶揄した「決めることのできる政治」なのだろうか?判断の誤りなきを前提とし、国民の命を守るという政治の使命をまっとうすることが判断の前提ではなかろうか、とわたしは思う。次回は、福島第一原発事故直後の状況を振り返りながら、現場の初動が適切であったのかを考えてみたい。
|
|
|