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2011/04/29(金)
社会の波にゆらゆらと
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岡山大学では父の期待に反して遊ぶだけの暮らしとなった。今、思えば、本気で勉強しておくべきだったと思うが、遅きに過ぎる。また、クラブ活動もひょんなことから意に反した放送文化部に入部し、アナウンサーの真似ごとをした。RSKへの就職を望んだが、これまた人生設計の目標を持たないいいかげんなわたしは叔父の建設会社に入り、大工さんや左官屋さんや鉄工所の親父さんから雑学を学んだ。が、この叔父の会社のたちまちの倒産からダンプ運転を含む建材業を自営するはめとなった。だが、この方々との出会いはわたしを困難時への即決対処の在り方を鍛えた。この青天霹靂の4年間をわたしはわが人生の第3ステップと思っている。社会の荒波にゆらゆら揺れたとは言いすぎかな。
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