たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2011/12/10(土) 友よよく来たささ今夜はおでん
友人と久しぶりに会う。消費税増税が議論に。なぜマスコミは輸出企業への膨大な還付金を問題としないのか。現在の増税試案では5%増税のうち社会保障へは1%しかまわらない。なのに社会保障へまわるかのごとき宣伝をしている。これこそ誇大広告ではないか。法律違反ではないか。物品販売者は処罰されるのに政治家だけは嘘をついても許されている。こんなばかなことがあるか、と手厳しい。口角泡を飛ばして熱く語る友よ。まあ飲めよ、とささをすすめる。わたしも同感だ。なんとかしたけれど・・・力がない。悔しいがなんとしよう!?

2011/12/09(金) この頃はと老母が嘆く針供養
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行われるが、俳句では春の季題とされている。針供養はその日一日針仕事を休み、折れた針の供養をするため、それまでの一年間の折れた針を持って淡島神社に納めに行き、神前の豆腐(豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺して針を休ませるといわれている)にさして針仕事の上達を願う行事である。すべてのものを手で縫うという時代のゆかしい行事の一つであるがそんな行事の廃れてゆくことを嘆いていた母ももう亡くなって久しい。

2011/12/08(木) 雪降るや冬のさくらの風に舞う
ブルーラインの一本松などでは冬桜が咲いている。青天の日などには海の青と合わせてとても美しい瀬戸内の風景である。牡蠣筏の青海に浮かぶ光景もなかなかいい。その昔白砂青松といわれた当時はもっと美しかったに違いない。その当時の藻塩も美味しかっただろうと想像される。日本の美しい山や海の保存は急を要している。ところが福島原発事故による放射能の影響に関わる補償額を東電の支払い可能範囲で決めたといわれる妊婦と子ども40万円、その他の人8万円で今問題となっている放射能汚染問題。この美しい日本を汚してしまった、それも人の寿命よりも長い時間帯で汚してしまった責任を誰がとるのか。結局責任者は誰もいないままにしている今の政治は誰のために行われているのかも問題とされなければならないはずだが・・・!?。雪と見まがう桜吹雪にも一抹の違和感を覚え、単純に喜べないこの日本人の心の襞の奥にできた傷をどうして癒せばいいのだろう。

2011/12/07(水) 枯れきった山も美しい
今頃は椎やぶななどに覆われた山も冬支度。人は冬の寒さに耐えるために服を重ねて着るが、樹木たちは春から夏に着こんだ緑の服を赤や黄や茶に変えて脱ぎすててゆく。そんな枯れてゆく山々も美しい。人も年が寄ると皺も、しみも増えるが、こんな老害を脱ぎ捨ててゆく方法がないものかと思う。先月のことだが、ある量販店の大きな鏡に映る自分の姿を見て驚いた。「俺ってこんなに年を寄せていたのか」と。そこで考えた。「これじゃいかん」と。はじめて自分のことを考えた一瞬だった。

2011/12/06(火) 口に手を霜踏み見れば鴨も鳴く
今バングラデシュとネパールからアブドゥルさんとスリジャナさんが日本の公民館の研修に来られています。目鼻立ちのしっかりした方々でアブドゥルさんは好男子、スリジャナさんは美しい女性でした。それぞれのお国でCLCの職員として日本の公民館職員と同じようなお仕事をされておられるようです。昨日岡輝公民館で交流会がありました。わたしも運営委員の一人として参加して発言もし、交流させていただきました。改めて「生涯学習とはなにか?」考えるいい機会をいただきました。ありがとうです。またアブドゥラさんとスリジャナさんは日本及び岡山についてお知りいただく素敵なお時間をお過ごしいただいていると感じました。国と国及び町と町がこれを機会に友好関係が深まればいいなと思いました。

2011/12/05(月) 心災や神戸の海に陽は落ちて
昨日は心悩ませる事故があった。町内会の親睦旅行で昨日は神戸の「人と防災記念館」に行った。東海・東南海・南海地震に備えてわが町内会はどうすべきか!?自然とどう向き合うか!?真剣に考えざるをえないところまで来ているのではないか、と思われるからだ。痛ましい災害からなにを学ぶか、という点でとてもいい勉強になった。そのあと神戸港をクルージングしたが、落日の海はとってもきれいだった。その美しさはわたしの心に震災の痛ましさを増幅させ、今もその余韻を残したままである。その旅行の帰りがけにある方が歩道の段差を踏み外して負傷された。88歳だった。日赤病院までお連れして診察や治療のため日が変わってしまった。そこで最後までお付き合いしたのでわたしの旅行は昨日朝早くから日が変わって今日までとなってしまった。

2011/12/03(土) うしろ姿のしぐれてゆくか
 どうしようもないわたしが歩いている  生死の中を雪ふりしきる  表記の句を含め、この3句は種田山頭火の句です。彼は1882(明15)年の今日山口県に生まれました。自宅から駅まで他人の土地を歩かなくてもよいほどの大地主の家に生まれましたが、親父と2代でその資産を食いつぶした放蕩者といわれています。これらは結婚したものの家族を振り捨て出家するも寺に居つけず乞食僧として放浪の旅をしていたときの句です。熊本市の市電を酔っぱらって止めたりしたこともある彼は自由律俳句で後世名声を博しました。わたしの好きな俳人の一人です。正岡子規とは違う明治という新しい時代に生まれ、生きた人物像の一典型です。

2011/12/02(金) こころよし枯れたよもぎに火に煙
母はよく乾かしたよもぎをもぐさ代わりにしてわたしに火を点けろと言い、火を点けると「あ〜あ〜、いい気持ちだ」と言っていたが、今朝寝ざめる前に縄ないの内職を終えた夜遅くのそんな光景を夢に見た。思い返せば、母はわたしを使うのが上手かった。面白くない顔をするときは「あんた、お兄ちゃんでしょ」と言ったが、わたしにはその一言は嫌だった。だが逆らえなかった。でも母はわたしを愛してくれた。また、よくお尻をぶたれた。その理由を「お尻はいいが、他の場所は傷つけるからだめ」とわたしに言いながら自分に言い聞かせていたようだった。涙しながら叩かれるのにはいつも閉口したものだ。しかし、最近は母と子の関係が変わってきているようだ。児童虐待がひんぱんに起きているが、岡山市内でもつい最近長女を監禁致死させた母親に懲役3年6月の判決が言い渡された。この事件に係る岡山市の対応はよくなかったとわたしは思っている。11月議会で高谷市長が「子どもの命を守るという原点に立ち返り、行政対応をしっかり検討」と所信を表明されたようだが、言葉だけのような気がしてならない。市議会でそれこそしっかりと議論してほしいものだ。


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