関大将棋部の日記
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2023/02/14(火) 院試に受かる人もいれば、落ちる人もいる(N)
 院試に落ちた。八月二十九日の午後三時のことだった。研究科のホームページで合否を確認し、不合格だとわかったときの感覚は今でも覚えている。これからどうしよう、という焦燥もあったし、仕方ないな、という諦めもあった。心を落ち着かせるため、隣駅まで目的もなく歩いた。私は人生に対して楽観的なほうなので、そこまで深く思い詰めるということはなかったが、流石に院試に落ちて一年間(あるいはそれ以上の期間)浪人するのはレールを踏み外しすぎているのではないか、という気持ちだった。私は就職活動も、そのための準備も全くしていなかったので、私に唯一残された選択肢は、冬の入試を受けてそれでも駄目なら浪人するというプランだけだった。正直言って頼りないプランだ。

 当時の心境を記録した日記がパソコンのメモ帳に残っている。一部抜粋して引用してみよう。

「八月二十九日、院試に落ちた。入試に落ちるのはこれが初めてではない。大学受験の時にだって経験している。だから、不合格であるとわかった瞬間、強く心を揺さぶられることはなかった。むしろ、「ああ、やっぱりそうか」とさえ思った。つい数秒前まで、「きっと受かっているはずだ」と信じていたのに、いざ不合格だとわかってしまうと衝撃よりも納得の方が勝ってしまうのは不思議なことだ。

もちろん、実際には落ちる可能性が十分存在し、その可能性はとても無視できるほど微小なものではないということは客観的事実として認識していた。つまり、私は楽観していたのだ、あり得ないほどに。不合格という悪いシナリオが実現して、そのことに初めて気付いた。

私は楽観すると同時に、絶望もしていた。試験前に勉強をする。どうして他人が当たり前にできることが自分にはできないのか、と。絶望している暇があればさっさと机に向かうのが合理的だとは知りつつも、今机に向かい始めてしまえば、どうしようもなく過去の自分の怠惰と対峙しなければならない。現実を見つめることへの恐怖は私を現実逃避の微睡みの中に強く引き留めた。楽観と絶望という一見アンビバレントな二つの心象は両立し、そしてそれらは自堕落で退廃的な生活という最悪の形で顕現する。

観念的な話になったが、現実に、私は少なくとも二月までは受験勉強をしなければならない。そのことを考えるとひどく陰鬱な気分になる。本当のことを言えば、この文章を書いている時間だって勉強に充てるべきだ。そんなことはわかっている。わかっていてなお動けないから私は失敗したのだ。

この文章は多くのプライベートな日記がそうであるように、未来時点の私に向けて書かれている。諸々を終え私がこの文章を読み返す時、私の大学生活がどのような結末を迎えているのか、現在の私にはわからない。安堵しているだろうか、後悔しているだろうか。あるいは人生に絶望しているのかもしれない。未来の私を後悔や絶望から救う唯一の方法は、現在の私が目の前のことに取り組むことだ。そんなことは、ずっと前からわかっていたはずなのに。」

 人生を左右する試験の不合格直後によくもこれだけくだらない文章を長々と書いたものだ。呆れるほかない。

 私が第一志望にしていた経研は夏の入試がメインであり、冬の入試は夏の追試験という扱いだった。そのためか、夏は筆記と面接の二段階の試験であるのに対し、冬は面接のみの試験である。面接と言っても、大学院に入るのに愛想の良さや人柄は関係ない(と思われる)ので、事実上事前に提出する研究計画書の出来いかんによって合否が決まる(と思われる)。したがって、研究計画書はかなり重要になる(と言うより対策する部分がここくらいしかない)。夏の入試でも計画書は提出したが、この計画書は筆記試験でのスクリーニングを前提とした完成度のものである。これ一本で合否が決まるとなると手直しが必要だ。また、第一志望の経研は冬の入試での合格枠がかなり少なく、倍率が五倍程度になる。流石にそこまでの博打はできないため、滑り止めが必要だ。第二志望の経研は筆記と面接で試験があるため、筆記の試験勉強をしなくて良いというわけではない。

 そのような事情から、秋学期の私は計画書の手直しをしながら、筆記の試験勉強をすることになった。

 秋学期の私は中途半端だった。まだ進路が決まっていないため、大っぴらに遊ぶのは憚られるが、かと言って根を詰めて勉強をしているとは決して言えない状態だった。もう一度試験に落ちれば一年間を棒に振るかもしれない状況なら普通の人間は必死に勉強しそうなものだが、どうも私は普通の人間ではなかったみたいだ。

 結局、試験勉強が遅々として進まず、夏の院試を受けたときから大きな進歩のないまま年末を迎えることになった。試験勉強はほとんど進んでいなかったが、計画書の手直しはある程度目処がついていた。出来栄えは良いとは思えないが、夏に提出したものよりは随分マシに思えた。添削をお願いした先生にも良く書けていると言ってもらえた(励ましのためのお世辞かもしれない)。しかし、この計画書で受かるという確信は全く持てなかった。大学院受験は大学受験に比べて情報が少なく、他の受験生がどの程度の水準の計画書を書いているのかは想像するしかない。ゆえに、自分の計画書が他のものに比べてどの程度優れているのか、あるいは劣っているのかは全くわからない。合格した今でも、本当に自分の書いた計画書が他の人よりも優れていたのか疑っているくらいだ。

 少し長く書きすぎた。もう二千字も書いたらしい。この日記は上限が二千五百字なので、残りは次に回す。恐らく、次が最後だと思う。期待している人はいないと思うが、期待しないで待っていてほしい。


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