関大将棋部の日記
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2022/05/05(木) ★本文が長すぎます。全角2500文字以内にしてください。
私が文章を書くことを現実逃避の手段とするようになったのは恐らく中学3年生頃だったと思う。中学2年生までの私は読書の習慣がなく、文章を書くことなど学校という子供にとっての公権力に強制される作文という機会を除けばほとんどなかった。当時の私が読んでいたのはもっぱらインターネットに落ちている文章であり、特に2ちゃんねるのコピペを好んだ(なんていやな子供なんだ)。ところが中学2年生のある時、私の文体、思考のすべてに大きく影響を与える1冊の小説(あるいは1人の小説家と言った方が適切かも知れない)に出会ったのである。それが、森見登美彦の『四畳半神話大系』である。この小説の詳細についてここで述べるつもりはない。アニメ化もされた人気のある作品だし、恐らく知っている人が多いだろう。当時の私にとってこの小説は衝撃的だった。とにかく面白かった。一文一文からユーモアがビシバシ伝わってきたし、それでいてストーリーや構成も斬新かつ奇想天外だった。そもそも、当時の私には文章の中でふざけてみたりおどけてみたりするという発想がなく、森見登美彦の文体は真新しく知的に思えた。それから、私はしばしば本を読むようになった(とはいえ、読書家と呼べるほどではない)。森見登美彦の他の作品だったり、太宰治や村上春樹などの中学生なら誰でも一度は背伸びして読むような小説だったりをいくつか読んだ。そうして多少本を読むようになったが、文章を書くということからは無縁だった。文章を読むということと文章を書くということの間には、微妙な隔たりがある。近いようで遠いような、遠いようで近いような。物理的な距離で喩えると2つ隣の駅くらいだろう。電車で行けばすぐだし歩けないこともないが、歩くとなると結構しんどい。ちょうどそれくらいだ。当時の私が文章を書くには、何らかの機会が必要だった。そして、その機会は高校受験のために通っていた学習塾で訪れた。当時、大阪府の公立高校の入試の国語には作文が含まれており、その対策の授業が塾で行われたのである。確かその授業での課題テーマは「海について」だった。どうしてこんなことを今になっても覚えているのかわからない。運動会のことはきれいさっぱり忘れても、こういう断片的な記憶は不自然に残っている。そのテーマで私がどんな作文を書いたのかまでは流石に覚えていないが、書き出しは何となく覚えている。確か、以下の通りだ。「海とは私にとって曖昧かつ抽象的なものである」何のこっちゃわからないが、中学生が書いたにしてはまあまあ良い感じの文章だと思う。この後の内容はうろ覚えだが、タレスの「万物の根源は水である」という言葉を引用したような気がする。恐らく知ったばかりの知識を披露したかったのだろう(この傾向は今と変わらない)。その授業では生徒の書いた作文を名前を消した状態でプリントにして配布し、皆の前で講師が添削するという形式だった。他の生徒は海に行ったという経験をベースに恐らく模範的と思われる作文を書いていたのだと思う。私の作文は明らかに異質であり、講師からも「名前を隠した意味がない」と言われ、内容がなさすぎると笑われた。作文の流暢さについては、結構褒められたと記憶している(もしかしたら、都合が良いように記憶を捏造しているだけかも知れないが)。特に今でも覚えているのが「文末が単調になっていないのが良い」という指摘である。小学生や中学生に文章を書かせると、多くの場合「しました。でした。と思いました」などのように、単調なリズムの繰り返しになる。別にこれが絶対的に悪いものではないが、稚拙に見えるのも一面的には真実だろう。その時私が書いた文章は偶然にもこのような単調さを回避していた。意識していたわけではないので、たまたまと言うほかない。それ以来、私は文章を書くときに常に文末が単調になっていないかを注意するようになった。ひょっとすると、この学びは私が中学生活の中で得た学びの中で最も役立ったものかも知れない、と思えるくらいだ。
文章を書くということについて、ささやかな成功体験を得た私は、その後も折に触れて文章を書いて誰かを笑わせようとした。物凄くふざけるということはあまりなく(ないことはなかったが)、あくまでも真面目なスタンスで、少しのユーモアを混ぜることを心がけた。また、内容については徹頭徹尾空疎だった。これについては敢えてそうしたというわけではなく、私という人間の空虚さからくる必然的帰結である。多分、私はこれからも何らかの文章を書くような気がする。それは誰かに何かを伝えたいという文章の本来的な手段としての利用というよりは、文章を書くことそれ自体が目的となるような自己満足的な営みにはなるだろう。その行為は恐らく私を経済的に豊かにすることはないし、こうして今こんな文章を書いていることは時間の浪費に他ならないだろう。しかし、少なくとも私にとってこうして文章を書くことは必要なことだ。日頃頭の中をとめどなく流れる独白を何らかの形で文章にしておかないといけないような気がするからだ。

文章の終わり方というのは、文章の始め方よりも遥かに難しい。文章を始める時は、頭の中に浮かんだ何か引きのある一文であったり、あるいは単に話の導入となるような一文から書き出せば良い。後で辻褄を合わせることはいくらでもできる。しかし、対して文章を終わらせる時というのはそれで文章が終わりなわけだから、後で辻褄を合わせるということができない。どう結んでも、何だか尻切れトンボのような感じがしてしまう。私は文章を結ぶということがとても苦手であり、油断するとだらだらと書き続けてしまったり、書くのが面倒になって突然脈絡もなく文章を終わらせたりする。そして、今もこうして無軌道に書き始めた文章をどう畳むか悩んでいる。(文=N川)


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