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2022/03/18(金)
断片的な文章の集まり
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1日早いですが,4回生の先輩方,ご卒業おめでとうございます.毎年,この時期になると時の経つことの早さに絶望します.正確に言えば時の流れに対しては常に絶望していますが, 特にこの時期は絶望も殊更深いということです.日頃から時間を湯水のように無駄にしているくせに,「時が経つのが早すぎる」と喚くのはいささかナイーブすぎる気がしますが, 20年と少しというウイスキーであれば十分上物と言えるくらいの年月をかけて培った怠惰な性向を今更自分から切り離すのは難しいです.
私は「進路」という言葉が嫌いです.高校生の頃,進路云々の話をされては,なぜ進路はあるのに退路が用意されていないのかと辟易したものです.しかし,現実的には進路を考えなければならない状況に置かれれば,そうせざるを得ない場合があります.そして今私が置かれている状況は世間一般ではそのような状況に該当するようです. 私が現時点であり得ると考えている1年後の私の職業は以下の2つです. @大学院生 Aニート 文系の大学院生なんてニートみたいなものだという有難いご意見に傾聴した場合, @ニート の1通りということになります. というわけで,私は今院試に向けて準備を進めています.そして多くの読者がお察しの通り,準備は遅々として進まず,泡のように消えてく時間を呆然と眺めるだけの日々を過ごしています.似た感覚なら高校3年生の時に味わいました.その経験を経て全く同じ過ちを繰り返そうとしているのですから,愚か以外にかける言葉がありません.そもそもこんなくだらない文章を書いているくらいなら論文なり教科書なりを読んだ方が良いに決まっているのですが,それができたら苦労しないというのが偽らざる心境です.
最近,良く考えることがあります.人間の死についてです.普段私たちは人はいずれ死ぬという事実から目を背けて生活しています.ただふとした瞬間に人間はいずれ死ぬという単純な事実を思い出し,その瞬間絶望的な気分になります.この絶望は人間の命が有限であることから来る絶望なのでしょうか.私の考えでは,それは少し違います.仮に,不老不死の技術,あるいは脳の電子保存による疑似的な不死の技術があったとして,それらはこの絶望を消してくれるのでしょうか.私はやっぱり絶望すると思います.命に終わりがあるのも嫌だし,永遠に続いて終わりが無いというのも絶望的です.つまり, @自分の存在が有限である→絶望 A自分の存在が無限である→やっぱり絶望 となると,この絶望の原因は命の有限性ではなく,存在しているという事実そのものから来ると考えざるを得ないのではないでしょうか.人間は生まれながらにして絶望している,という名言をどこかの有名な哲学者が言ったことがあるのかは定かではありませんが,もし誰も言っていないのであれば,私が最初に言ったことにならないかな,と思う今日この頃です.
上のようなことを書くと,精神を病んでいるのかと疑われるかもしれませんが,別にそういうわけではないです.普通に大真面目に考えています.精神が健康な人はそういうことを大真面目に考えることもないのかもしれませんが.私は普段からこういうことを考えて過ごしているので,これで精神が病んでいるなら,ずっと病んでいるということになりそうです.ただし,こういうことを考える頻度は明らかに現実的な不安要素を抱えている時に増えます.大学受験の時や今はそれに該当します.これはプレッシャーで追い詰められているというよりは,努力によって解決可能な目の前の問題を人間の死や人生の意味などといった解決するわけのない問題に置換して,現実的な問題の解決を先送りにするという極めて技巧的な現実逃避の方法から来る産物です.私はこの方法で大学受験をやり過ごしました(乗り切った,という勇ましい表現ではなく,やり過ごしたというやや後ろ向きな表現を用いているところに筆者の大学受験の結果が筆者にとってどのようなものであったかが示唆されています).今度は乗り切ったと言えるような結果であることを祈って,将来時点での自分に期待するばかりです.(N川)
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