Yuri's diary
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2005/02/09(水) 追憶
かねてから療養中だった祖母が先週末に亡くなりました。
4年前に祖父を亡くした直後、祖母がガンに侵されていることがわかりましたが、年齢も当時80歳を超えていたので、手術などオてもかえってその負担のほうが大きいことや、ガンそのものの進行が遅いだろうということで経過を見守る治療となっていました。
祖母は自分がそんなに長くないと知っていたかのように、「おじいちゃんの5周忌法要と自分の葬式と一緒でいいからな」と言っていましたが、まさか本当にその時期と重なるなんて・・。

亡くなる2日前には「今夜は越えられないかも」という山があって、子供たちにも「長野(実家)にいくかも知れないからね」と言っていました。ちょうどその時、お兄ちゃんは学校の行事で責任のあることを任されていて、それはそれは張り切っていたので「えー?僕がいないと他にやる人がいないんだよぉ!」と困っていたものの、「でも大きいばーちゃんとのお別れのほうが大事だよねぇ・・・」と自分を必死に納得させていました。なんとかおにいちゃんにやらせてあげたいなぁ・・と思いながらも、実家に行く準備を整えていましたが、「持ち直したのでまだ来なくていい」という実家からの電話。予定通りおにいちゃんは張り切って学校で役目を果たしてきました。それはまるでお兄ちゃんの張りきりが大きいおばーちゃんに伝わったかのような出来事でした。「ちー、しっかりやれよ!」と。きっとちょっとだけ空に行くのを待っててくれたんだね。その晩、ひっそりと息を引き取りました。

主に化粧品のセールスをしていた祖母は、とてもきれいにお化粧をして安らかな顔で眠っていました。生前はすぐにゴロッと横たわり、気がつくとグーグーと寝ているような祖母で、自分のいびきにびっくりして飛び起きることも・・・。
「おばあちゃん!ただいま!」と声をかけると「よう来たな。」とむっくりと起き上がるかのようないつもの寝顔なのに、もう動かないことが信じられませんでした。

小さい頃から私たち孫を本当にかわいがってくれていました。ふすまや障子に穴を開けても、「なんだ!そんな小さな穴だとふさぐのも面白くないからもっと大きく破け!」とか言ったり、押入れの中の布団を全部だして「海〜♪」といって布団で泳ぐことをしても、「お!楽しそうだな」と言ってもっと布団を出してきてくれたり、子供のやることに決して怒らず笑っていました。
私が何かで失敗しても「たいしたことじゃねぇだで!またやりゃいいんな!」とアッケラカンと言ってのける、そんなおおらかな祖母だから、自然と子供たちが集まってきて、お正月なんかはそれはそれはにぎやかなものでした。
そのおおらかさは商売上でもすごく反映されていて、そこかしこに仲のいい友達がたくさんいました。普通85歳のおばあさんが亡くなると「長生きしたなぁ」という感情が大きいかなと思いましたが、まるで年齢の若い人が友人を亡くすような感覚で本当に死を悼んでくれる友人がたくさんいたこと、祖母ってみんなに好かれてたんだな・・と実感しました。

そんな祖母だから、きっと天国でもみんなと楽しく過ごせるだろうな。大恋愛で結ばれたおじいちゃんには空で会えたかなぁ。
これからは空から「たいしたことじゃねぇだで。またやりゃいいんな!」と声をかけてね。


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