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2021/02/08(月)
『麒麟がくる』完結 第6407回
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本日の小林の健康状態ですが、平熱(36.5度)、痰無し・咳無し・味覚&嗅覚障がい無しです
18時40分〜20時00分は、「特別稽古」(領家中学校体育館)でした。体験入門者が2名いました。
さて、タイトルの件ですが、昨日2月7日『麒麟がくる』が完結しました。歴史ドラマなので、歴史の事実とは符合していない所もある思います。しかし、「敗者」の側から歴史を見たという点は、面白かったです。
明智光秀と言えば、従来は「勝者」である豊臣秀吉側から描かれていたものばかりで、信長に虐められてその復讐でクーデターを起こした陰気な武将、という様に印象付けられていたと思うのです。しかし、このドラマでは、反対に信長が最も信頼した家臣であったという(もっと高い評価であれば最良のパートナーであった)という視点で描かれていました。
正確な引用ではないのですが、童門冬二氏が「歴史上の人物は多面体である。あらゆる方向から光が差し、その差す光によって輝き方が違う。彼らはそれを甘受しなければならない。」という趣旨の事を書いています。(多分『二番手を生きる』だったと思いますが、抜き書きが見つかりませんでした。)このドラマは多面体である明智光秀に、今までとは違った方向から光を当てたという点で、素晴らしいと思いました。
ふと思った事が、二つあります。
一つ目は「麒麟」は徳川家康だったという事でしょうか?ドラマの中で、光秀は家康の隠密(?)に対して、「一緒に平和な世の中を作ろう」という様な事を伝言させています。家康は、「欣求浄土」(ごんぐじょうど)を旗印にして、少なくとも200年以上は大きな争いのない江戸時代の礎を築いたのです。
二つ目は、光秀の娘であるおたまが細川家に嫁ぎ子を成しました。(細川ガラシャ)その細川家の子孫が細川護熙元首相です。数百年の時を経て、光秀の意思が実ったのでしょうか?但し、細川家は途中で養子が入っており、細川護熙元首相は細川ガラシャ(つまり明智家)とは血の繋がりはない様です。
(ウイキペデイア:忠興の妻はオペラなどで知られる細川ガラシャであり、護熙は系図上の子孫に当たるが、養子を経たためにガラシャの子孫ではない。ガラシャの血を引く遠い親戚には評論家の細川隆一郎(細川忠興・ガラシャ夫妻の嫡男だった細川忠隆(のちに廃嫡)の子孫)がいる。)
そんな事を思いながら、新型コロナウイルスに翻弄されたドラマの色々な場面を思い出しています。
<2月末日までにブログを移行しますーそれまでは新旧両方に書きます。新しいブログは https://ameblo.jp/y-k-yuki/ です。>
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