小林師範の続々指導日記
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2021/01/17(日) 関西淡路大震災 第6385回
本日の小林の健康状態ですが、平熱(36.4度)、痰無し・咳無し・味覚&嗅覚障がい無しです。

 さて、タイトルの件ですが、本日1月17日、忘れる事が出来ないのが阪神・淡路大震災です。あれから26年目です。
 1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の大地震が発生しました。
 近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けました。特に震源に近い神戸市市街地の被害は甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えました。犠牲者は6,434名に、負傷者は4万名以上に達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模です。戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。1948年の福井地震により「震度7」が設定されましたが、この震度7が実測された初めての大地震でもありました。

 この地震を機に大地震に対する法的、社会的(特に災害ボランテイア)な対応が進みました。その為、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われています。後に、内閣は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めました。
 また、この震災で、ボランティアに関わった人々の中には、被害の甚大さに精神的に大きなダメージを負ってしまった人も多かったという事です。被災した人々のケアだけでなく、ボランティアの心のケアも重要な事と認識されたた初めてのケースだったと言われています。

 この地震を私は出勤途中で知りました。「何か関西で大きな地震があったらしいよ」という事を電車の中で話している人がいました。出社してからその地震の大きさと被害の甚大さを知りました。当時、同じ生協であるコープ神戸と私が勤めていましたコープかながわが連帯(共同)事業をしておりましてて、その一つで情報システムの統一という事で、コープかながわの情報システムの職員が神戸に出向していました。幸い犠牲者はおりませんでした。
 またコープかながわでは(というか被害に遭わなかった多くの生協が)ボランテイア隊を組織して、援助に向かいました。この大震災で、災害ボランテイアが急速に拡大しまた根付いて行きました。

 10年程前に娘のサッカーのインカレの試合で応援の為、家族で神戸に行きましたが、東日本大震災と違って原発がありませんでしたので、(当たり前ですが)すっかり復興していました。しかし、あちこちに震災を記録したものがあったと思います。覚えているのが、県庁近くの公園に震災当時の火が灯っていました。また、灘の酒工場(酒蔵)を見物に行ったのですが、その中の展示だったともうのですが、この付近は古い木造の住宅が多く、殆ど前回の壊滅状況だったという事が写真と共に書かれていました。

 上手く纏りませんが、3.11と同じくこの1.17も忘れてはならないものだと思います。


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