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2020/09/27(日)
オリンピック精神は何処? 第6274回
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本日の小林の健康状態ですが、平熱(36.5度)、痰無し・咳無し・味覚&嗅覚障がい無しで、鼻づまり無しです。
9時00分〜12時00分は、「特別稽古」(六会公民館ホール)でした。
さて、タイトルの件ですが、2020年 9月23日(水)のブログで「オリンピック/パラリンピックこれで良いのか!」を書きました。関連して書きます。
IOCのオリンピック憲章は「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第1章)として、メダル獲得数などを指標に国家間の優劣を競い合うことを五輪開催の意義として認めていません。 しかし、実際には国家間の競争と国威発揚の場、つまり各国のナショナリズムの衝突の場となっています。
そのきっかけは2つあったと言われています。
まず、1908年のロンドン大会で、それまでは個人による参加だったのですが、この大会からNOC(各国オリンピック委員会:National Olympic Committee)を通じて行われ、国旗を用いた入場行進が初めて採用された事です。ナショナリズムがあおられて、国と国の競争が盛り上がりました。 このとき、互いをライバル視する英国と米国の行き過ぎた競争を危惧した大司教の説教に、クーベルタンが感銘を受け、司教の言葉を引用して「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と言ったのはとても有名です。これには続きがあって、「人生で重要なことは、勝利することではなく闘うことである。その本質は打ち克つことではなく、よく闘ったことにある」という名言が遺されています。
もう一つは、1936年のベルリンオリンピックで、ドイツ(ナチ)の国威発揚の場となりました。ナチス政権は、反ユダヤ主義政策や領土拡大計画を緩和し、オリンピックを利用して外国人の観衆や報道記者に平和で寛容なドイツのイメージを印象付けました。 米国などの西洋の民主主義国家は、当初ボイコットを主張しましたが、最終的にはボイコットを撤回しました。当時一部の関係者が主張した、ナチスの圧政への国際的抵抗を強化しヒトラーに再考を促す立場を明確にする機会を逸しました。オリンピックの終了と共に、ドイツの領土拡大政策とユダヤ人ら「国家の敵」に対する迫害が加速し、ついには第二次世界大戦とホロコーストが起こりました。 更に、1984年のロサンゼルス大会以降の商業主義(コマーシャリズム)に毒されてしまいました。
* クーベルタン男爵の言葉 「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである。人生で重要なことは、勝利することではなく闘うことである。その本質は打ち克つことではなく、よく闘ったことにある。」
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