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2020/07/27(月)
「ダンダリン」200円と200円のリンゴ 第6212回
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本日の小林の健康状態ですが、平熱(36.5度)、痰無し・咳無し・味覚&嗅覚障がい無しで、鼻づまり無しです。
ここ数日で、以下の本を読みました。 『原発危機と東大話法』(安富 歩) 『フェイクニュースの見分け方』(烏賀陽弘道 うがやひろみち) 『呪いの言葉の解き方』(上西充子氏) 18時〜19時は、「青空教室」(弥生台駅前公園)でした。
さて、タイトルの件ですが、『呪いの言葉の解き方』に「ダンダリン」というTVドラマでのエピソードの紹介がありました。このブログに既に書いた思っていたのですが、フェイスブックにのみ書いていましたので、それを転載致します。 (転載開始) 「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません。悪しからず。」BY藤谷美和子 (1977年)
『ダンダリン』(竹内結子主演)というドラマの中で、こんな問いがありました。ダンダリン(段田凛)は労働基準監督署に勤める調査官で、このドラマはいわゆるブラック企業の摘発等をテーマにしたドラマです。
「一個200円のリンゴがあります。200円とリンゴ、どっちがえらいですか?そしてなぜえらいのでしょう?」
面白い問いですよね。「えらい」という意味が微妙ですが、誇れるか、胸を張れるかどうかというところでしょうね。この問いで冒頭の言葉を思い出しました。 皆さんはどう考えますか?答えはこうでした https://www.youtube.com/watch?v=R3ZU07ogp-o (一番最後にあります。)
「200円はそりゃあその価値がないと世界中の人が言えばそれはもうお金でない。でもリンゴは世界中の人がリンゴでないと言ってもリンゴはリンゴなんです。 だから他人を気にしなければならないのがお金。自分一人でも前に進めるのがリンゴ。 だから、リンゴのほうが偉い。」
お金というのは、その価値を認めるからこそ価値があります。価値が認められなければ、ただの紙切れですし、ただの金属です。 リンゴはどうであったとしてもリンゴです。あなたは、あなた以外にはなれません、という事です。
ダンダリンンが「私は強くなんかありません。強いていうならば人からどう見られるかと言う事を気にしていないだけです。」というセリフがありますが、それから繋がっています。 確かに、お金でリンゴは買えますが、リンゴでお金は買えません。お金ならばリンゴ以外に好きなものが、その金額の範囲内で買えます。お金は何にでも「変身」出来ます。利子も生みます。 しかし、リンゴでは何も買えません。物々交換するか、一旦売ってお金にしてから他の物を買います。リンゴは利子を生みません。(ただ、種を植えて上手く行けば、リンゴの木が育ちリンゴの実が取れるかもしれません。それでも土地と何年もの時間が必要です。)
人間は「お金」とは違います。どうであったとしても、自分は自分です。他人がどう評価したとしても、自分は自分です。
だからこそ、人は自分の信念で前に進めるのです。更には、自分の価値、自分の人生の価値と言っても良いですが、それを自分で高めていく事ができます。 人は、嘘をつくと行動や言動に矛盾が生じます。それは、自分の価値を、自分の人生の価値を自分で卑しめている事なのです。
別件ですが、会社が嫌なら黙って我慢するか辞めるかどちらかの二者択一に対して、「それは間違いです」として「それは言うべき事は言い、自分達の会社は自分達で変えて行く」という選択肢を提起するところは共感しました。これは、私が労働組合運動に関わっていた時の気持ちと一致しました。でも、実は一番大変な事でもあります。いやいや、自分の意見や行動で職場が変わって行くという事に、やりがいがあり楽しかったのかも知れません。
更に「二者択一」という呪縛というか落とし穴については『呪いの言葉の解き方』(上西充子著)というのがあり、機会があれば書評を書きたいと思います。
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