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2020/01/17(金)
阪神・淡路大震災から25年 第6020回
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スポーツクラブに、ヨガに行きました。高圧酸素カプセルにも行きました。 14時〜15時は、富士塚幼稚園の稽古でした。16時〜18時は、藤沢総合高校空手道部の稽古でした。組手中心で行いました。 19時〜20時45分は、大和道場(下福田中学校武道場)の稽古でした。組手模擬試合をしました。 昨日「暖冬」と書きましたら、今日は一気に寒くなりました。もしや明日は雪? さて、タイトルの件ですが、6,434人が犠牲となりました阪神・淡路大震災の発生から今日1月17日で25年となります。犠牲になられた方々のご冥福をご祈念致します。 25年と言えば4半世紀、大震災を知らない人も多いと思います。国内ではその後、大きな地震や豪雨が相次ぎ、「大災害時代」の始まりを告げたと言われています。震度7の地震は2011年の東日本大震災のあと、16年に熊本、18年には北海道で起きました。東京を中心とした首都直下地震は、今後30年以内に70%の確率で起きるとされています。 発生(発災)は午前5時46分で、震源は兵庫県・淡路島北部でした。人口約150万人の神戸市をはじめ県内の4市と淡路島で、震度7が史上初めて適用されました。強い揺れや火災で全半壊した住宅は約25万棟に上ったほか、高速道路が横倒しになり、新幹線の高架橋も落ちました。死者は6434人、負傷者は約4万4千人に達しました。耐震基準が厳しくなる前に建てられた古い木造家屋に被害が集中し、地震そのもので「直接死」した人の約8割が、倒れた建物や家具の下敷きになったと言われています。 寒い避難所での生活で体調を崩したり、病院が被災して入院中に治療が中断したりして亡くなる「災害(震災)関連死」も起きました。犠牲者のうち900人以上が、そういう関連死だったと言われています。 戦後初のこの大都市直下型地震は、防災対策や被災者支援、復興計画のあり方等の数々の課題を浮き彫りにする一方、全国からボランティアが集まり「ボランティア元年」という言葉も生まれました。地震発生から1年間で、のべ約138万人のボランティアが活動し、避難所での炊き出しや、仮設住宅で暮らすお年寄りの見守りました。ボランテイアは、東日本大震災やその後の災害時にも活躍していますが、これが契機となっています。 更に、『耐震改修促進法』が出来て、国や自治体は住宅をはじめ、学校や病院といった多くの人が集まる建物の耐震化が進められました。全壊や大規模半壊した住宅の再建に支援金を給付する『被災者生活再建支援法』やボランティア活動を後押しする『特定非営利活動促進法(NPO法)』も、この震災がきっかけに出来ました。 多くの犠牲者と共に、多くの教訓を残した大震災でした。
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