小林師範の続々指導日記
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2019/09/05(木) 「二つの道」について 第5888回
 「はじめてバレー」に行きました。そして、高圧酸素カプセルにも行きました。
 14時〜15時30分は、上大岡で哲学の勉強会でした。
 17時〜18時は、横浜道場(西が岡小学校体育館)の幼年等の稽古でした。18時〜19時は、同所で黄帯の稽古でした。
 18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を形中心で行いました。
 さて、タイトルの件ですが、昨日の引用資料にこんなものもありました。
(転載開始)
 世の中には人がつくった道を歩いていく人と、自分で道を作る人の二通りがある。以前は後者の人生こそ尊いと思っていた。だが最近、そうではないと思うようになった。
 二つの道は別のものではなく、交錯しているということである。孔子も釈迦も独自の道をつくった人である。しかし、孔子も釈迦も最初から孔子、釈迦であったわけではない。それぞれの成長期にそれぞれの道を学び、その道を踏査(とうさ)していくことによって独自の道をつくり出していったのである。
 道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。その思いを強く熱く反復した人である。
 行ったり来たりする中で道はできる。一回通っただけでは道はできない。このことは歴史が教えている。
(転載終了)
 ここで思い出されるのは、アントニオ猪木が良く引用する「この道を行けばどうなるものか/危ぶむなかれ/危ぶめば道はなし/踏み出せばその一足が道となり/その一足が道となる/迷わず行けよ/行けばわかるさ」です。その方法(行ったり来たりが、自分だけが踏破するか)は別として、「道をつくろう」と思った人が、いや「思って実行した」人のみが、新しい道を作れるのです。
 また、引用にある様に、私達は何をするにも先人の大きな「遺産」を基礎にあるのです。その「遺産」を学ぶのが、教育であり自らの学習なのです。
 更に、もう一つ思い出したことがあります。孔子も釈迦も、特定の先生がいたという訳ではありませんが、私達にはそれぞれ先生がいます。先生からこちらから見れは、私達は弟子になります。相撲界では「恩返し」という言葉があり、先輩に勝つ事、先輩を超える事がそれに当たります。私達の先生に対する「恩返し」というのも、同じだと思いました。一つでも先生を超えるものを持つ事、その為に「三流」の様に精進を重ねる事だと思います。
* 参考 あるサイトから
この詩は、清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26(1951)年10月1日発行)。『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。
なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。
「この道を行けばどうなるものか/危ぶむなかれ/危ぶめば道はなし/踏み出せばその一足が道となり/その一足が道となる/迷わず行けよ/行けばわかるさ」
これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。
 しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。
したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。


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