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2019/08/05(月)
平和を語り継ぐ 第5857回
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モーニングヨガには行かずに、「宿題」をひたすら行いました。午後は、母親の入居先の老人ホームに、面会に行きました。こちらは、試合等で忙しくて7月1日以来です。今日、行かないと「親不孝」になりそうでした。 17時〜18時は、横浜道場(新橋コミハ&ケアプラザ)の幼年等の稽古でした。18時〜19時は、同所で黄帯の稽古を組手中心で行いました。18時45分〜20時45分は、同所の通常稽古で、組手中心で行いました。 さて、タイトルの件ですが、今日は一般論として「平和を語り継ぐ」という事を書きます。毎年、このブログでも、この期間は広島原爆投下、長崎原爆投下そして敗戦と戦争の悲惨さ平和の尊さについて、書かさせて頂いております。 戦争の原因は、時代時代に依って異なるでしょうが、この時代は「社会主義国」(実は資本主義国)と言われる中国も含めて、帝国主義者間の覇権争いだと思います。そして、そのもっと深部には、戦争に依って大儲けを企む国際金融資本と多国籍企業が存在していると考えています。金儲けの為に国家を動かし戦争をさせ、武器を買わせて、合い戦わせて人と人を殺し合わせて、平然としている者がいるという事です。 また、私には、日本では現政権にいよって、ひたすら戦争への道を歩んでいうという危機感があります。更には、「あいちトリエンナーレ2019」で「平和の少女像」等の展示が中止となりました。政府(官房長官)が、補助金云々と発言しています。政府(政権)には、「ああ、そういう考えもあるんだな」という、反対派に対する度量というものが必要ですが、現政権はそういう事が全く無いというか分かっていないと思いましたし、明らかに表現の自由に対する侵害だとも思っております。また、一部「国民」が脅迫により、表現の自由を侵害する様な行為をした事とそれに「屈した」行政にも大きな問題があると思います。 話が少しだけ横に言ってしまいましたが、平和について書いて行きます。
<参考1> 2019年 8月 3日 日本ペンクラブ(吉岡忍会長)の抗議声明 制作者が自由に創作し、受け手もまた自由に鑑賞する。同感であれ、反発であれ、創作と鑑賞のあいだに意思を疎通し合う空間がなければ、芸術の意義は失われ、社会の推進力たる自由の気風も萎縮させてしまう。 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」で展示された「平和の少女像」その他に対し、河村たかし名古屋市長が「(展示の)即刻中止」を求め、菅義偉内閣官房長官らが同展への補助金交付差し止めを示唆するコメントを発している。 行政の要人によるこうした発言は政治的圧力そのものであり、憲法21条2項が禁じている「検閲」にもつながるものであることは言うまでもない。また、それ以上に、人類誕生以降、人間を人間たらしめ、社会の拡充に寄与してきた芸術の意義に無理解な言動と言わざるを得ない。 いま行政がやるべきは、作品を通じて創作者と鑑賞者が意思を疎通する機会を確保し、公共の場として育てていくことである。国内外ともに多事多難であればいっそう、短絡的な見方をこえて、多様な価値観を表現できる、あらたな公共性を築いていかなければならない。
<参考2> 2019年 8月 5日 YAHOOニュース 社会学者 明戸隆浩氏の論点整理 タイトル:あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理 URL https://news.yahoo.co.jp/byline/akedotakahiro/20190805-00137053/
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