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2019/08/11(日)
勝つ事と負ける事と・・・(2/2) 第5863回
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久し振りにゆったり出来た日曜日の午前でした。13時〜17時は、平本指導員が「自主稽古」(湘南台公民館ホール)を企画しましたので、「顔を出しに」に行きました。中、妻と息子で駅前にデニーズにかき氷を食べに行く為、中座しました。 終了後、有志で「暑気払い」をしました。 さて、タイトルの件ですが、少し重たい事を書き始めたな・・・と思っています。 「負けから学ぶ」とか「失敗(負け)と書いて勝ちと読む」とか「価値ある負け」とか「敗戦から学ぶ者が真の勝者となる」という風に、負ける事が次の勝利につながるという風に言われています。つまりは「勝つ」という事が重要であるという事が、大前提にある訳です。 ましてや県の代表として、負けた選手の思いも背負って上の大会に参加したのだから、負けても良いという風に言えるのか、反対に負けたら価値がない、と言えるのではないかとも思えます。 プロではやはり、勝つ事が大きな目標です。勝たなければ、飯も食っていけない、という事にもなりかねません。 スポーツとか試合は、勝敗を争うもので、誰かが勝てば誰かが負ける訳でして、商売と違い「WIN WIN」という事はありません。「勝敗」を楽しみという事です。勝った側は、誇らしいでしょう。しかし、負けた側には、「グッド・ルーサー」という言葉があります。負けても腐らない、勝った相手を讃えるという敗者です。これもまた誇らしい事だと思います。 「負ける」という事を学ぶのが、スポーツの一つの意義でもあると思います。例えば、今熱戦中の高校生の甲子園大会で優勝するのは、全国各地での予選会参の4,112参加高校のうち、たったの1校です。つまり、4,111校がいずれかの段階で負ける分けです。これを称して「負けを知り、負けを経験するのが甲子園への道、壮大な負けの祭典である」という趣旨の事を述べる人もいます。同感です。 負けても爽やかな笑顔の選手が多いと思います。全力で練習して来て、全力で戦い、そして負けた、悔いがない人もいれば悔いがある人もいるでしょう。仲間たちと同じ目的に向かって進んで来た、友を思う気持があったでしょう。結果の敗戦、その事による笑顔もそして涙も、勝敗を越えた何かがあります。「何か」が何かについては、上手く語れません。理論的なく情緒的です。 「勝つために全力で稽古し試合する」のは当然です。でも、「勝たなければ意味がない」という風には思えません。私も試合に参加する事を(基準を作って)「義務」にしています。そして、目標も書かせます。過去の実績や初めて試合に参加する選手は「入賞する」とか「1勝する」すらも書けない選手がいます。その場合には「では、形で自分の旗の色を上げさせる」とか「最後まで演武す」とか「組手で1ポイントとる」とか「時間いっぱい闘う」でも良いんだよ、とアドバイスをしています。つまり負ける事を前提にして、目標を立てて参加します。「勝たなければ意味がない」と断言するのであれば、こんな目標では試合に参加する意味がないという事になります。でも、試合に参加する事は、仮にそうであっても大きな意義があると思います。 ああ、分かりました!試合に出る事は色々な意味で、(ここでは詳しく書きませんが)人間的に成長するという事だと思いました。それは、やはり勝ち負け以上の大きな意義があるのではないかと思いました。
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