小林師範の続々指導日記
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2019/06/06(木) 「稽古」という言葉 第5797回
 「はじめてバレー」に行きました。帰宅して、ひたすら読書をしました。
 17時〜18時は、横浜道場(西が岡小学校体育館)の幼年等の稽古でした。18時〜19時は、同所で黄帯の稽古でした。
 18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を形中心で行いました。また、「基本形の日」という事で、高橋指導員を講師にして、平安三段を行いました。
 さて、タイトルの件ですが、昨日のブログで「稽古」という文字を多用した関係からか、ある方からこんなメールを頂きました。
(転載開始)
 「稽」という字は考えるという意味をもっており、「稽古」とは本来「古(いにしえ)を稽(かんが)える」「昔のことを考え調べてどのようにすべきかを正しく知る」といった意を表す漢語であった。ここから、書を読んで学問する、学ぶの意が生じた。さらに、芸能や武術を学んだり習うことにも「稽古」が用いられるようになり、学問以外の意味でも使われるようになった。ここから分かるように芸道や武道は昔の人のしていた形を学ぶことを中心に学んでいたから、なぜその形になったのかと自分なりに考えること、だから稽古と言ったと考える。この見解は私のものであり、一般的な見解は以下のものである。(「一般的な見解」は省略します:小林志光)
(転載終了)
 これに対して、こんな返信をしました。
(転載開始)
 〇〇様 小林志光です。
 いつも、お世話になっております。
 資料ありがとうございます。

 自分では、余り意識して両者を使い分けていません。ただ、空手道は伝統を継承して行く、その為には先生、先輩や先人に学ぶという事で、その言葉の意味の通り「稽古」の方がいいかな?と思っている位です。
 でも、「練習」も使います。

 また、「師範」と「先生」の使い分けがあります。
 「師範」も「先生」も教えるという事では同じです。
 しかし、「師範」は「範」がある通り、模範となる言動も大切だという感じがあります。
 「先生」は「先に生まれて色々な経験や知識があるのでそれを教える」という事かな?と思っています。武道や茶道・花道等では、「師範」が使われます。

 で、自分は厳密には、使い分けていません。その日、その時の気分で、自分を「師範」とか「先生」とか呼んでいます。弟子(会員)から、どちらで呼ばれても構いません。

 曖昧なままにしておいても、実生活では差支えがありませんので、「どちらでも良い」(稽古と練習 師範と先生)と思っております。
 
 曖昧なままでの良い、曖昧なままの方が良い、というのがあるのが、生活の知恵かとも思います。(笑)
(転載開始)
 回答になっているのかどうか分かりませんが、こういう事をフランクに意見交換出来る人がいるのは、幸せな事だと思っていますー本当に!。


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