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2019/05/15(水)
五・一五(ごーいちごー)を忘れない 第5775回
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本日は、チラシの戸配もなしで、モーニングヨガもスポーツクラブが休みで無しでた。朝は、6月及び7月の会場確保をインターネットで行いました。 11時30分〜12時30分は、やよい台幼稚園の稽古でした。来週22日の体験入門会の申込みが2名ありました。 17時〜19時は、藤沢湘南台道場の幼年等の稽古(湘南台公民館第1談話室)でした。新規入門者が2名でした。 19時〜21時は、湘南台公民館体育室の稽古で、組手中心で行いました。21時〜21時45分は、同所で「自主稽古」でした。 さて、タイトルの件ですが、2018年も転載を致しましたので、今年も2009年5月15日の「指導日記」を転載させて頂きます。 (転載開始) 若い皆さんには「515」と書いても分かりませんよね。「ごーいちごー」と読みます。1972年のこの日に、沖縄がアメリカ(連合国)から日本に返還され、沖縄県が発足しました。皆さん、信じられないかもしれませんが、それまでは、沖縄は「外国」扱いだったのです。これ以前にも「もう戦後ではない」と言った首相がいましたが、歴史的には、この年で「戦後」という区分が終わったのかも知れません。多分、私の世代(団塊の世代とその次の世代)では、この言葉とこの時代を懐かしく思う人が多いのではないでしょうか。」 (転載終了) 私は、5月に忘れてはならない日が二つあると思っています。一つはメーデーで、もう一つはこの「5・15」です。メーデーについても「5・15」についても、ここ数年は毎年書かせて頂いております。 今年は、戦後、アメリカに統治されていた沖縄が日本に復帰して(いわゆる515)今日で47年となります。沖縄の人々は、未だに米軍基地が日常的に存在に、日々の生活の大きな影響(多くは苦しみ)を与えられています。日米安全保障条約に基づく在日米軍基地の約75%が日本の国土のわずか0.6%の沖縄に集中しています。そのため,沖縄では1972年の施政権返還以降も基地の重圧にあえいできたのです。沖縄の人々が、沖縄の人々だけがいわれないない「罰」を与え続けられている様にさえ思えます。辺野古移転問題についても、各種選挙を通して、沖縄県民の意思は反対!という事が明らかですが、これを無視して埋め立て(土砂投入)を強行しています。 沖縄の人々の苦しみの根本原因は、米軍基地の存在です。そして、米軍の基地存在の根拠は、日米地位協定です。これを、破棄しない限り、沖縄の戦後も日本の戦後も終わりません。「日本を取り戻す」という人がいますが、本当に「日本を取り戻す」ならば、日米地位協定を破棄し米軍を日本から撤兵させる事が不可欠です。
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