小林師範の続々指導日記
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2019/02/12(火) 大和市「スポーツ人の集い」講演で学んだ事(1/2) 第5683回
 モーニングヨガに行きました。
 帰宅して、頭髪カットに行きました。椅子に座りましたら「あら空手の先生ですね?」と問われました。お聞きしましたら、富士塚幼稚園の生徒さんで体験入門会に参加した方でした。「今度、4月から入門しますので、宜しくお願い致します。」という事でした。富士塚幼稚園、来年度は7名で稽古出来そうです!無論嬉しいです!!で、顏を知られていますと「悪い事は出来来ません」ね。(笑)
 12時30分〜14時30分は、藤沢総合高校空手道部の稽古で、形等中心で行いました。同校は、テスト期間に入りますので、1か月程、稽古がありません。
 18時〜18時45分は、藤沢長後道場(今回は会場確保の関係で湘南台公民館第1談話室)の幼年等の稽古でした。19時〜21時は、同道場の稽古を同公民館体育室で行いました。先月実施出来ませんでした組手模擬試合を行いました。また、審判員実技練習会も行いました。21時〜21時45分は、同所で「自主稽古」でした。

 さて、タイトルの件ですが、2月11日の大和市「スポーツ人の集い」は、第一部が表彰式で、第二部が講演会でした。講演会の講師は、元競泳日本代表(200メートルバタフライ)の星奈津美選手でした。同氏は、2012年のロンドンオリンピックで銅メダル、2015年の世界競泳で金メダル及び2016年のリオデジャネイロオリンピックで銅メダルと獲得しています。現在は、スポーツコメンテーターとして、講演や水泳教室を開催しています。
彼女の講演の中で、皆さんにお知らせしたい事が三点ありましたので、ご報告致します。

 まず、第一点目ですが、幼い(一歳半)から水泳を初めて、小学生までは何らの結果も残せなかったという事です。それは、県大会以上では仲間の応援をしていた、つまり出場出来なかったという事です。しかし、水泳そのものが大好きで、成績で結果が出なくても辞めたいと思った事はなかったそうです。
 ところが、中学生が転機となりました。小学生まではバタフライは、50メートルと100メートルでした。しかし、中学生から200メートルがあり、そこで結果を残す事が出来ました。高校に進学して、1年生&2年生のインター杯同種目で連覇しました。

 第二点目は、以下の通りです。
 小学生から、好き&楽しみ&夢で練習を重ねて来ました。夢は、小学生の頃から「オリンピック出場」だったそうですが、高校生になり夢が目標に変わりました。それを成し遂げる目前でした。しかし、彼女はバセドウ病に罹ってしまいます。練習も休む事を余儀なくされました。その時、彼女が思った事が三つあります。
 一つ目は、「(水泳が出来る)当たり前に感謝」という事でした。それは、健康だからでしょうが、更に、両親や周囲の協力がなければ出来ない事です。そういう周囲にも感謝の念を持ったという事です。
 二つ目は、「結果が出なくても病気のせいにしない」という事でした。結果に対して言い訳をしないという事です。
 三つ目は、「1日の終わりに後悔を残さない」という事でした。それは、悔いのない練習をするという事でもありますし、計画通りに練習出来なくても何か得るものがあるだろうと考えるという事でした。ポジテイブシンキングという事でしょうか?

 そして、2008年には、高校生(日本競泳代表の中で最年少)で、北京オリンピックの日本代表にも選出されました。しかし、結果は第10位でファイナリストになる事は出来ませんでした。この北京オリンピックは、北島康介選手がオリンピック2大会連続2種目金メダルを獲得し、超有名な「もう何も言えね〜!」と発した大会です。(「チョ〜気持ち良い!」は2004年のアテネオリンピックの言葉です。)

 第三点目は、次の通りです。彼女は、ここで北島選手の試合を目の当たりに「自分もメダリストになりたい。」「メダリストになるに何が必要か?」を考えたそうです。敗北から学ぶという事と、素晴らしい先輩から学ぶという事です。(続く)


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