小林師範の続々指導日記
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2019/12/05(木) 中村哲先生凶弾に倒れるー謹んで哀悼の念を捧げます 第5978回
 スポーツクラブに、ヨガに行きました。後は、ホームページの「回復作業」をしました。スビードアップで、スムーズに出来て、午前中で終了しました。後は、『日本が売られる』(堤未果 幻冬舎新書)を、夢中で読みました。
 17時〜19時は、横浜道場(西が岡体育館)の黄帯以下の稽古でした。形等中心で行いました。18時45分〜20時45分は、緑帯以上の稽古でした。「基本形の日」という事で、高橋指導員を講師にして、平安三段を行いました。続いて、形模擬試合をしました。今月の「基本形講習」が平安三段の為、平安三段を習った人は、一回戦目は平安三段をしました。
 さて、タイトルの件ですが、何回かブログでも紹介したと思うのですが、アフガンで復旧に尽力していました中村哲医師が凶弾に倒れました。非常に悔しい気持ちと怒りが込み上げて来ます。
 色々な評論や語録をネットから拾いました。
 その1 「武器を取る者は取れ。私たちはクワで平和を実現しよう。きざな言い方をすれば、そんな思いで続けています」。帰国している時の中村さんはぼくとつを絵に描いたような人だ。だが、言葉は熱い。大国による駆け引きの道具のような机上の和平案や見栄えだけの国際援助をばっさりと切り捨て、時に文明論の様相も帯びた。現地の人々の命と、そのために行動することを最優先にした人だった。
 その2 パキスタン北西部のペシャワルでハンセン病治療と無医村での診療にあたっていた中村哲(なかむら・てつ)さんがさらに奥地に赴いた時である。ある家に呼ばれ乳児を診たが、今夜が峠だと告げるしかない重い病状だった▲だが中村さんが息を楽にする甘いシロップを与えると瀕死(ひんし)の赤ん坊は一瞬ほほえんだ。その夜に亡くなったが、人々が中村さんをたたえたのは「言った通りだった」からだ。そこでは医師は神の定めを伝える者として尊敬されていた▲「死にかけた赤子の一瞬の笑みに感謝する世界がある。シロップ一さじの治療が恵みである世界がある。生きていること自体が与えられた恵みなのだ」。中村さんは書いた。アフガニスタンで大干ばつが始まったのはその後であった▲「人々の暮らしを根底から奪った干ばつで何より命のための水が必要だった」。中村さんがアフガンで井戸を掘り、やがてかんがい事業に取り組んだのはまず人々が「生きること」からすべてを組み立てるべきだとの信念からだった▲約1万6500ヘクタールの土地に水を供給し、65万人の命を保ったこの事業である。その間に同僚の伊藤和也(いとう・かずや)さんが武装グループによって命を奪われた。「暴力は何も解決しない」。中村さんは伊藤さんのかんがいへの献身をそう追悼した▲アフガンの地に暮らす人々の生き方に寄り添って「生きること」を全身全霊で支援した中村さんだった。何よりも平和を求めたその人が暴力に倒れたのは悲しいが、その志は続く人々のともしびであり続けよう。
 その3 「100万発の銃弾より、1本の用水路の方がはるかに治安回復に役立つ。(日本政府は)米欧の軍事行動と一体と見なされない独自の民生支援を長期的に進めるべきだ」(2009年2月、オバマ米大統領=当時=がアフガニスタンへの増派を決めたことを受けての取材で)
 その4(語録)「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れるのである。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのである。」「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。」

 私も中村先生が帰国した折に開いた講演会に2回参加しました。「政府だろうと反政府だろうと用水路建設に協力して貰えれば、どちらも良いんだよ」という趣旨の言葉が印象的でした。要するに、人々の生活が一番だという事です。参加した日のブログを転載します。
(転載開始)
 2016年 6月10日(金) 第4737回目
 中村哲先生講演会 第4737回目
(前略)
 16時〜18時は、藤沢総合高校空手道部の稽古で、19時〜21時は、大和道場(下福田中学校)の稽古ですが、私は、タイトルの中村哲先生の講演会に参加し、両方とも不参加でした。また、どうしてもこの講演会に参加したかったので、誠に申し訳ない事だったのですが、大和道場の昇級審査会を来週に延ばして頂きました。ありがとうございます!
 さて、タイトルの件ですが、中村哲先生はアフガニスタンで井戸を掘り水路を作って、軍事力でない平和貢献に奔走しています。
「100の診療所より1本の用水路」「医者は病期を治せても飢えや渇きは治せない」その事に気がつき、2003年〜2007年まで、「9.11」を挟んで、全長27キロの用水路を開きました。
政治的野心を持たずに、強大な軍事力に頼らない民生支援に徹する、というのが中村先生の基本的な立場です。(朝日新聞 2016年1月30日)
 軍事力による「平和貢献」は、軍事力により覆される。軍事力によれば、人を傷つけ殺し、憎しみの連鎖が断ち切れません。用水路により、土地が蘇り、難民となった人々が戻り、生活を取り戻すのです。
 是非「中村哲」先生をインターネットで検索して見てください。
(転載終了)
 中村哲先生が活動の拠点としていましたペシャワール会の会 ホームページ
  http://www.peshawar-pms.com/pekai/signup.html


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