小林師範の続々指導日記
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2019/11/23(土) 今日は「勤労感謝の日」 第5967回
 9時〜11時30分は、藤沢湘南台道場(六会小学校体育館)の稽古でした。ナイファンチ初段の変更点及び確認点の説明をしました。また、組手模擬試合をしました。幼年を含めて白帯と黄帯の参加者が多くて、何か嬉しくなりました。
 13時〜14時30分は、くるみ保育園分道場(下和泉連合町内会館)の稽古でした。15時30分〜17時は、幼年&白帯&黄色帯稽古(長後公民館ホール)の稽古でした。平行して、同所で「合同自主稽古」を15時30分〜19時まで行いました。
 さて、タイトルの件ですが、もう15年以上前に娘に「『勤労感謝の日』といっても休むのは学生で、働いている人は休んでいないじゃないの」と言われました。それで、その言葉に触発されて調べてみた事があります。(2006年11月23日(木)のブログ)
(転載開始)
 勤労感謝の日は戦後国民の祝日が、1948年定められた際に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で定められました。
この日は、いわゆる新嘗祭(にいなめさい)の日に当たります。これは、古くからの宮中の行事であり「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である天皇が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。
 収穫を神に感謝して祝うという意味では、アメリカで11月の第4木曜日に祝われる収穫祭(サンクスギビング・デー)という行事があります。
でも、「勤労感謝」の日なら米国のLabor Dayに相当すると思います。そのLabor Dayというのは、毎年9月の第一月曜日で、アメリカの祝日です。必ず月曜休みですので土曜日からの3連休となります。
 100年以上の歴史があり、もともと労働組合の祝賀であった「夏の最後を祝うお祭り」が由来のようです。1882年にニューヨークで労働者が夏を惜しんでパレードを行い、これが年々大きくなりました。このパレードの日が9月の第1月曜日だったのです。
 本当は、労働者のためのお祭り(祭典)というと5月1日のメーデーなんですが、日本では、祝日ではありません。こちらを祝日にして欲しいですね。(何か今は反対で、「メーデー」を祝日や日曜日に行っている労働組合もあるようで、おかしい感じがします。)Labor Dayは、米国では、1894年に正式に国民の祝日となりました。
 アメリカの夏休みは、5月のメモリアルデーからこの9月のレイバーデーということが多いらしいです。米国では、レイバーデーは、労働者の祝日であり、夏休みを3連休で締めくくる日でもあるのでしょうね。
 米国のメモリアルデーは南北戦争における戦死者を讃える行事として始められ、その後米軍の戦死者を讃える全米規模の行事となっています。
(転載終了)
 で、要するに宮中行事から、この日が「勤労感謝の日」となったのです。
 実は、11月3日の「文化の日」も宮中行事というか戦前の休日を「転用」したものです。この日は、1873年(つまり明治6年)に公布された『年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム』(明治6年太政官布告第344号)以降1911年(明治44年)までは天長節、1927年(昭和2年)に改正された『休日ニ関スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)以降1947年(昭和22年)までは明治節として、明治天皇の誕生日による休日となっていました。
「表面」では、文化の日は上記の経緯と関係なく定められたという事になっていますが、当時の国会答弁や憲法制定スケジュールの変遷をみてみますと、明治節に憲法公布の日をあわせたとも考えられています。
 また、祝日法制定当時、参議院文化委員長として祝日法制定の際中心的役割を担った山本勇造が政界引退後に書いた当時の回顧録『文化の日ができるまで』には明治節に関する記述は一切ない。山本によれば、元々、憲法発布は11月1日の予定ででしたので、施行日がメーデーと重なるという理由で直前に11月3日に変更されたとしています。山本ら参議院側は11月3日を憲法記念日とすることを強硬に主張したが、GHQ側が、当たり前ですが「11月3日だけは絶対に駄目!」だと主張しました。それに、衆議院が5月3日を憲法記念日とする事に同意してしまい、参議院側が孤立する事態になりました。その時、突然GHQ側から、憲法記念日という名でない記念日とするなら何という名が良いか、という様な話を持ち出して来たという事です。
 11月の二つの休日の成立経過を見ますと、今の政治の戦前回帰の様な状況を思い浮かべて、ため息が出てしまいました・・・


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