|
2018/10/19(金)
カント『啓蒙とは何か』 第5597回
|
|
|
午前中は、モーニングヨガに行きました。14時〜15時は、富士塚幼稚園の稽古でした。16時〜18時は、藤沢総合高校空手道の稽古で、組手中心で行いました。 19時〜21時は、大和道場(下福田中学校武道場)の稽古でした。私は、10月28日のスポーツ交歓会参加団体代表者会議に出席の為、稽古は不参加でした。 さて、タイトルの件ですが、2018年10月 7日(日)のブログで「午前中は、読書をしました。カントの『啓蒙とは何か』(光文社文庫 訳:中山元)他3編です。機会がありましたら、感想を書きたいと思います。」と書きました。「機会があり」ましたので書かせて頂きます。 カントの『啓蒙とは何か』はある人から、「カント哲学を知るには良いよ」と言われて、図書館から借りて読んでみました。文庫本の20ページ程の短い文章なので、30分もかからずに読めました。 「啓蒙」(けいもう)という言葉は、フランス革命での啓蒙思想で知っている方も多いと思います。意味は「蒙(もう=暗さ)」を「啓(けい=開く)」という事で、「暗黒」とか「蒙昧無知」とか「停滞」とか「キリスト教の重いくびき」等の中世時代に終わりを告げて、明るい市民社会を目指すという所でしょう。 カントは、冒頭で「啓蒙」を定義して「啓蒙とは、自ら招いた未成年の状態から抜ける」事としています。そして「未成年の状態」を「他人の指示を仰がなければ自分の理性を使う事が出来ない」という事としています。 更に「人間が未成年の状態にあるのは理性がないからではなくて、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気も持てないからだ」としています。更に「啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは『知る勇気をもて』だ。すなわち『自分の理性を使う勇気をもて』ということだ。」としています。 また、カントは「人間性の根本規定は、啓蒙を進める事にある」としています。 私は、理性というのは、正しいと思う事を言い行動する事、個人(自分)の利益よりも社会の利益を優先する事、現在の利益よりも将来の利益を優先する事だと思います。 訳者である中山氏は解説で「カントの啓蒙の概念の重要性は、人間が自分の力で考えること、自分の知性を働かせて、疑問を抱き、疑問と思われるものを解明し、これまで知らなかったことを知る『勇気をもつ』ことを訴えたことにある。」としています。カントは「哲学というものは学ぶ事が出来ない、ただ哲学することを学べるだけ」だと言っている、と解説しています。 加えて、この文庫本には「世界市民という視点から見た普遍史の理念」という小論も収められています。これは、私だけの読み方かも知れませんが、カントは人間の歴史を貫く何か普遍的なものがあり、それを実現する過程が歴史そのものである、と考えているのではないかと思いました。「人間の歴史の全体は、自然の隠された計画が実現されるプロセスと見る事が出来る。」(P55)という文章を読んで、そう思いました。ただ、カントは「自然の隠された計画」を「内的に完全な国家体制を樹立する」事としていますが、その点では自分の考えとは違います。 ヘーゲルは、「絶対精神」というものがあり、歴史はこの絶対精神が自己を展開して行くもののだとしています。ちょっと分からないかと思いますが、私はこれは凄いと思いました。 でも、まあこういうカントやヘーゲルの歴史観を「目的論的歴史観」というのですが、実は私も同じ歴史観を持っています。 自分を含めた個々人は、自分の個人的な意志とか考えとは別に、ある(人類の又は歴史の)目的を実現する為の一員として生を受けたなんて自分の生き方を考えると、何か楽しくなりませんか。
|
|
|
|