小林師範の続々指導日記
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2017/07/11(火) 「二つの目」 第5133回目
午前午後共にゆったり読書をしました。藤沢総合高校空手道部の稽古は、テスト期間中でありません。19時〜21時は、藤沢長後高校(藤沢総合高校体育館)の稽古で、組手模擬試合をしました。
さて、タイトルの件ですが、昨日に続き、三浦つとむ『言語と認識の理論』第一部からのものです。(P57以降)
人間は、「二つの目」を持っています。それは、人間の顔の上部部分にある物理的な「目」です。これは、実際に眼前にあるものをみます。
もう一つは「心の目」又は「頭の目」です。そう言えば、69連勝を達成した隻眼の大横綱の双葉山がある人から「心の目で見ろ」と叱咤激励されたという話を記憶しております。その言葉が事実かどうかは分かりませんが、双葉山は幼少の時に誰かの吹き矢に当たり右目の視力がなかった又は相当に弱かった様です。
 さて、話を元に戻しまして、その「心の目」とか「頭の目」ですが、「実際の目」と対比して「観念的な目」とも言い換えられます。例えば、「自分の顔を見る」ですが、自分手足や胴体はそのまま見る事が出来ますが、顔や頭は鏡を使うかと、写真やビデオ等の映像に依り見る事が出来ます。
 所で、自分の考えや思いについてはどうでしょうか?自分から離れて、何百キロも彼方の人達、何百年も前の歴史上の人物は、直接見る事が出来ません。それこそ、映像だったり書籍だったりで見る事が出来ます。更に、色々な知識を基に、そういうものを頭の中に描く、つまり「見る」事が出来ます。
 また、ある作家の本を読むときに、あたかも作家になった様に本を読みます。絵画鑑賞でもそうです。作者の目になって、その絵画を見るのです。自己の目が作家や作者の目になる訳です。これは「実際の目」(文字を読んだり絵画を見たりする)が「頭の目」の入り口になるのです。
 自分の言った事や行った事が、正しいかどうか、人の道に外れていないかどうかを見るのは、自分を見るもう一人の「自分」です。これを、「自己の二重化」とか「自己の他人化」とも言います。「自分を客観的に見る」という事です。
 科学で法則というものがあります。法則は字や図で説明出来ても、法則そのものは目に見えません。それは、「観念的な目」(「頭の中の目」)で見る(認識する)ものです。
 さて、そういう風な「観念的な目」(「頭の中の目」)は、どうやって形成されて行くのでしょうか?簡単に言えば、教育であり躾(しつけ)です。ここでは、教育や躾の人間の歴史における役割やその方法については、書けません。ただ、空手道指導でも子供達の「観念的な目」(「頭の中の目」)を育むという視点が重要だと思う次第です。
(抽象的で申し訳ありません!でも「観念的な目」(「頭の中の目」)とか「自己の二重化」(「自己の他人化」)という言葉は、非常に大切な言葉です。)


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