小林師範の続々指導日記
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2017/11/20(月) 『運動指導の心理学』(57:目標設定と目標志向性その1)
 今日の午前中は、2017年11月の予定表を、ホームページにアップしました。その後、母親宅に行き、買い物等をしました。19時〜21時は、横浜道場(領家中学校体育館)の稽古で、組手中心で行いました。
 今回は、「目標設定と目標志向性」(第7章)の導入部分です。
 目標設定については、当初は産業心理学の領域を中心に研究が行われ、その成果がスポーツ心理学にも取り入れてられてきました。「コーチング」というものがスポーツの分野から産業(職場)に取り入れられたのと反対の方向ですね。
 明確な目標を持つ事は、練習を効率的に行う事に重要な前提条件ですし、目標を達成したという経験は、内発的動機を強める事になります。ですので、明確な目標設定は「二重の意味」で、科学的且つ合理的な質の高い練習をもたらすものとして重要です。体育の授業では、目標設定を「めあて学習」という呼び名で実践されて来たという事です。
 また、知的学習での達成動機についての研究から、学習者や集団がどの様な目標を持つかによって動機付けや行動パターンが大きく変わる事も明らかにされて来ました。これは「目標志向性」という用語で研究が積み上げられてきました。「目標志向性」の影響は、勝敗をどの程度重視するかという事と密接に関係しているという事です。
 この辺りは、組織のトップや指導者としての基本的なスタンス及び組織(道場)の存在意義をどう定めるかと関わると思っています。かっこ良く言えば、指導者と組織(道場)の「理念」をどうするかという問題だと思います。

2017/11/19(日) 『運動指導の心理学』(56:運動好き・運動嫌いと性格形成その6=最後)
 9時〜12時は、強化稽古(六会公民館ホール)でした。私は、秦野市の大会に審判員で参加の為、強化稽古には出られませんでした。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、コラムの11で「原因帰属」です。(P161)試合においては、勝つ事もありますが、負ける事も必然的ですートーナメントでは、負けない人は1名のみです。ある人が、高校生の甲子園を目指す野球の目的は、「負ける」を意識し経験する事だと言っていました。
 そして、負けの原因を何に帰するかを「帰属原因」と言います。まあ「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という位で、負けにはそれなりの原因がありますが、それを何に求める(帰する)かは、その人の経験、性格及び知識等によります。
 ワイナーという学者は、その代表的なものとして「能力」、「努力」、「課題の困難性」及び「運」を上げています。
 それぞれを「安定性」(「安定」と「不安定」)及び「統制の位置」(「内的」と「外的」)で位置付けます。そうしますと、「能力」は、「安定」で「内的な統制」となります。同じく「努力」は、「不安定」で「内的な統制」となります。「課題の困難性」は、「安定」で「外的な統制」となります。「運」は、「不安定」で「外的な統制」となります。
 そしてワイナーは、「安定性」(の次元)は、期待の変化に、「統制の位置」は、感情の変化に影響しているとしています。つまり、負けの原因を「安定性」(「能力」と「課題の困難性」)に求めますと、次も負けると考えます。負けの原因を「内的要因」である「能力」や「努力」に求めますと、「課題の困難性」や「運」が原因だと考えるよりも、負けた場合には恥ずかしく感じると言います。この場合で勝った場合には、誇らしく感じます。(「負け」を「勝ち」に変更し、「勝ち負け」を「成功失敗」としても考え方は、同じです。)
 従いまして、勝った時や成功した時に、その原因を内的安定的要因である自分の高い能力や一所懸命努力した事を誇らしく思い、次も勝てるとか上手くいくと感じ、動機を高める事になります。
 反対に、負けた時や失敗した時に、その原因を内的安定的要因である自分の能力と考えますと、次も負けるとか失敗すると感じ、動機を低める事になります。失敗した時には、運が悪かったとか努力が足りなかったという様な不安定要因に求めますと動機付けは低下しません。
 運動嫌いの人は、成功を課題や運等の外的要因に求め、失敗を能力不足に求める傾向が強いと言われています。
 「能力」はその人の可能性と言えます。私は、それを発揮するための要因の一つが努力だと思っております。私は誰でも、(オリンピックに出場するとかいうものではなくて)常識的な範囲内であれば、「能力」はあると考えています。勝てなかったとしたら「努力」が足りなかったのだと思います。それは、自分に対しても、そう思っております。

2017/11/18(土) 『運動指導の心理学』(55:運動好き・運動嫌いと性格形成その5) 
9時〜11時30分は、藤沢湘南台道場(六会小学校体育館)の稽古でした。組手模擬試合をしました。13時〜14時30分は、くるみ保育園(下和泉小学校体育館)の稽古でした。16時〜17時15分は、湘南台カルチャーセンターの稽古で、形等中心で行いました。17時〜21時は、「特別稽古」(長後公民館ホール→第1談話室)でした。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、「運動嫌い」(その2)で、「運動嫌いを生み出す、メカニズム」です。(P156)運動嫌いは、恐怖と能力が関係しているということです。
 恐怖についてですが、苦痛刺激は生得的に強い不快感情や回避的行動を引き起こします。しかし、水泳やドッジボールと不快感情や回避行動の間には何の関係もありません。苦痛経験(昨日の日記参照)をする事により、運動と不快感情の間に強い結びつきが出来てしまいます。すなわち「運動」と聞いただけで、怖い嫌いという感情が生起し、何とかやらないでいようと言う回避行動になってしまうのです。
 また、能力に関するものは「学習性無能力感」というものが関与しています。これは、かなり有名な実験ですが、犬に電気的刺激を与えますと当然逃げようとします。しかし、最初から犬を逃げられないようにして電気的刺激を与えます。最初、犬はもがきますが、繰り返すうちに反応しなくなります。一種の諦めの状態です。次に犬を動ける様に(逃げる事が出来る様に)自由にした状態で電気的刺激を与えても、犬は逃げなくなります。反対に一度でも、電気的刺激を与えた時に逃げるという経験をさせていますと、自由にした場合には逃げようとします。
 これは、自分の意図や行動と結果(嫌悪刺激の回避)の非随伴性の認知が成立し、無力感が形成されるからだと説明されています。運動で例えれば、上手くなりたいという意図を持って一所懸命練習しても少しも上達しない、更に周りはどんど上手くなっているという状況で「自分はいくら努力しても駄目なんだ」とか「自分は運動神経が鈍いのだ」と言った意図及び行動とその結果についての非随伴性の認知が形成されます。その結果、運動に対する動機付けが低下し、運動の学習が上手くいかなくなるだけでなく、運動は大嫌いであると言った非常に強い嫌悪感や自分が惨めだという情緒を抱く様になります。
運動の場において学習性無力感で重要な事は、運動嫌いだけでなくて、無気力的な性格が形成される事です。運動嫌いの人の性格を見ますと、運動好きの人の性格と対極をなしていて、劣等感が強く消極的で失敗する事を極度に恥ずかしがるという点が上げられます。しかし、これらは性格が原因で運動嫌いになったのではなくて、統制不可能な状況を経験する(幾ら努力しても上手くならない)事により運動嫌いになり、同時に無気力と言う性格も形成されるのです。運動嫌いと無気力は共に、学習性無力感の結果なのです。

2017/11/17(金) 『運動指導の心理学』(54:運動好き・運動嫌いと性格形成その4)
 午前は、ゆったりと蔵書のスキャンや読書をしました。14時〜15時は、富士塚幼稚園の稽古でした。16時〜18時は、藤沢総合高校空手道部の稽古でした。
19時〜21時は、大和道場(下福田中学校武道場)の稽古でした。私は、藤沢市スポーツ少年団の会議の為、稽古は不参加でした。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、「運動嫌い」(その1)です。(P154)運動嫌いになるきっかけは、筆者の調査によりますと「恐怖に関するもの」、「能力に関するもの」及び「汎化に関するもの」が上げられます。
 「恐怖に関するもの」は、例えば「水泳でおぼれかけた」とか「球技で突き指をした」とか「隣で鉄棒をしていた人が落下して顔面血だらけになったのを見た」というようなものです。これは「苦痛回避動機」とともに、痛い思いをするのではないかという情緒も大きく関係しているという事です。
 能力に関するものは、「泳げるように頑張ったが、自分だけが泳げなかった」とか「かけっこでいつもビリだった」とか「何回練習しても逆上がりが出来なかった」という様なもので、有能感が得られないよりももっと強く無力感とともに恥ずかしいとか惨めと言った情緒も生起しているという事です。
 汎化というのは、もともとは条件付けに関する言葉で、ある刺激に条件付けられた反応が、その刺激だけでなくそれと良く似た刺激に対しても同じ反応を起こす事を意味しています。例えば、「体育の先生が嫌いで体育が嫌いになった」とか「体育の授業の徒競争でいつもビリになっていてそのうちに体育が嫌いになった」とか「ドッジボールでボールが激しく顔に当たったり突き指をしているうちにボール恐怖症になり球技そのものが嫌いになった」等です。

2017/11/16(木) 『運動指導の心理学』(53:運動好き・運動嫌いと性格形成その3)
午前午後共に、2017年の予定表を作った以外は、ゆったりと蔵書のスキャンや読書をしました。17時〜18時15分は、横浜道場(西が岡小学校体育館)の幼年等の稽古でした。18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を形中心で行いました。
 西が岡中学校は高台にあり、そこに行くには坂道を登らなくてはなりません。夏の暑い日は、17時ではまだ日差しが強くて、汗が噴き出ます。春と秋は、爽やかな風を感じる日が多いです。それと、その高台から横浜港の高い建物が見えます。夏はそのままの姿ですが、晩秋から初春にかけては、灯りを伴っています。今日、横浜港方面を見ましたら、灯りが見えました。高台辺りも既に日が差していませんでした。ちょっと寂しくなる晩秋を感じました。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、「運動好きと有能感」です。(P151)
最初は「スポーツマン的性格」です。これは色々な研究の結果から、スポーツマンの方が、「劣等感が低く積極的・活動的で外交的」であると言われています。これは、スポーツをするからというよりも、スポーツ好きと結びついていると言われています。
そして、その結びつきは、運動有能感が大きく関与していると言われています。すなわち「運動に対する動機が満足されると、特に内的動機付けが満足されると自己決定と有能さの認知が高まり、運動好きという快の情緒が生じるとともに運動有能感が形成される」(P153)からです。つまり、運動の上達や成功の体験をたくさん持っている子供は運動有能感を形成し、運動好きで活動的になるだけでなく、日常の行動においても積極的に行動する様になるという事です。

2017/11/15(水) 『運動指導の心理学』(52:運動好き・運動嫌いと性格形成その2)
 今日は、七五三です。もう20年以上も前ですね。孫でも出来れば、また経験出来るかもしれませんが、それが見通しが立たなくて・・・
 午前中は、読書と蔵書のスキャンをしました。14時15分〜15時15分は、やよい台幼稚園の稽古でした。園児達が手作りの袋に千歳飴を入れて、自宅に持ち帰っていました。
16時30分〜17時45分は、湘南台カルチャーセンターの稽古で、昇級審査も近いので形等を中心に行いました。19時〜21時は、湘南台公民館体育室の稽古でした。21時〜21時45分は、同所で自主稽古でした。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、「運動好き」の第1回目です。(P148以降)
運動好きになったきっかけですが、一番目は、「出来なかった運動ができるようになった」というものに代表される「能力に関するもの」です。具体的には、跳び箱が飛べる様になった、逆上がりが出来る様になった、25メートル泳げる様になった、級を貰った、褒められた等です。あるアンケートでは、小学生で9割、中学生・高校生で5割となっています。二番目は、それぞれの運動(スポーツ)が持つ独自の醍醐味や魅力です。小学生では、1割に達しませんが、中学生・高校生では3割となっています。3番目は、「友達ができた」「仲間と一緒に励まし合って練習し力を合わせて試合をした」に代表される「対人的交流に関するもの」です。同じく、小学生では、1割に達しませんが、中学生・高校生では2割となっています。小学生では、能力に関するものが圧倒的であり、中学生・高校生では、運動に関する面白さや対人的交流に関するものも関係してくるという「発達差異」が認められます。

2017/11/14(火) 『運動指導の心理学』(51:運動好き・運動嫌いと性格形成その1)
 今日の午前中は、遠くの方に稽古指導を受けに行きました。アーナンのご指導を頂きました。14時〜16時は、藤沢総合高校空手道部の稽古で形中心で行いました。19時〜21時は、藤沢長後道場(藤沢総合高校体育館)の稽古でした。組手模擬試合をしました。
 さて、タイトルの件ですが、今回から「第7章 運動好き・運動嫌いと性格形成」に入ります。今日は、導入部分となりますです。(P147)
 好き嫌いは一種の情緒であり動機として働く事及び情緒動機の特徴は、その人の持つ他の動機の満足又は阻止と密接に関係しています。(第5章)つまり、動機が満足されると快という感情が生じて接近動機として働きますし、反対に動機が満足されないと不快という感情が生じて回避動機として働きます。
 ですので、運動好きになる(させる)ためには、その人の動機を知り、その動機を満足してあげれば良いのですし、反対に、その動機を満足しない(させない)と、運動嫌いになって行きます。そして、運動に対する動機を知っていれば、運動好きになる考え方や方法が明らかになるという事です。
 そこで、第7章では、「体育授業やスポーツ場面で具体的にどのような動機の満足・阻止と関係して運動が好き・嫌いになるかを」明らかにします。更に「運動好きが有能感の形成、運動嫌いが学習性無力感というメカニズムを通して、運動嫌いのみならず個人の性格にも重大な影響を与えることが明らかになって来た」という事で、この点についても論じるという事です。

2017/11/13(月) 『運動指導の心理学』(50:モチベーションの心理:内発的動機付けその7)
 「定例」の母親宅訪問ですが、先週の金曜日に行きましたので、今日は行きませんでした。17時〜18時15分は、横浜道場(新橋コミハ&ケアプラザ)の幼年等の稽古でした。18時45分から20時45分は、同所で通常稽古を組手中心で行いました。他の団体からも参加がありました。
さて、タイトルの件ですが、今回は、「コラム10」で「外的報酬と内発的動機づけ」です。(P141)。デジという学者は「全ての外的報酬は制御的側面と情報的側面がある」という命題(認知的評価理論)を打ち出しました。
 例えば「褒める」という事は、指導者から言えば、もっと練習する様に、もっと全力を出す様にと選手の行動を制御しよう強化しようとするために与えます。反対に選手の側では、そういう報酬(褒められるという事)をより多く得ようという行動を取ろうとします。これを、「報酬の制御的側面」と言います。
 また、それらの報酬は、自分が従事した行動が自己決定的で有能であったという情報をもたらします。これを「報酬の情報的側面」と言います。
 金銭や賞賛等の外的報酬付けは、一般的には制御的側面を強め内発的動機づけを弱めると言われています。もともと楽しい(遊び)として行っていたものに、外的報酬を与えると、外的報酬を得るために行動するようになり、内発的動機づけを弱めるということです。
 他方、もともと動機付けの弱い場合には、外的報酬を与える事により内発的動機付けが高まるという研究もある様です。
 本人が成功したと感じた時に与える言葉での称賛(正のフィードバック)は情報的側面の働きが強く内発的動機付けを高め、他方で下手だとか失敗したという負のフィードバックは、一貫して有能感に対してマイナスに働き、内発的動機付けを低下させると言われています。という事、この辺りは自分的には「要反省」ですね。
ところで、昔に比べて今は、相当意識的に褒めるという事をしているのですが、あらためて気が付いた事ですが、褒めると確かに生徒の顔がほころんで嬉しそうな顔になるんですね、これが。それと「駄目」と言わないで、「こうすればもっと良くなるよ」的な言葉も使うようにしています。更に、叱ったりするよりは褒めていた方が、指導者としての自分も気持ちが良いですね、これも。
* 称賛=(言葉で)褒める 
* 賞賛=物を与えて褒める

2017/11/12(日) 『運動指導の心理学』(49:モチベーションの心理:内発的動機付けその6)
 本日は、県青少年中学生大会兼中学生選抜大会予選会(大和スポーツセンター)でした。私は、諸般の事情で参加できませんでした。志空会からは、形2名(西谷中学校経由は除きます。)、審判員1名及び補助役員6名での参加でした。結果は、志空会所属の女子選手が、形及び組手で選抜大会出場権を得ました。
 13時〜21時は、強化稽古(六会公民館ホール)でした。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、「遊び理論としての内発的動機づけ」です。(P144)
 「人間文化は遊びにおいてー遊びとしてー成立し発展してきた」とドイツの哲学者ヨハン・ホイジンガは主張し、この考えは世界的に受け入れられて来ました。
 同じくドイツの思想家シラーは「人間は、言葉の完全な意味において人間である場合にのみ、遊び、また彼が遊ぶ場合にのみ完全に人間として存在している」と述べています。
 なぜ人間が「遊び」をして楽しむのかという事については、統一的な定義や理論は現時点ではないということです。しかしながら、「遊びが内発的に動機付けられた行動であるとする考え方が遊びの現代理論として有力」(P145)となっています。
 ですので、何かをしているから遊びであり又は遊びでないということは、意味を持たないということです。ある運動やスポーツをどのような動機で行っているかどうかにより、遊びになったり遊びでなくなったりします。更に、人間は幾つかの動機が重なり合ってある行動を取りますが、その場合、決して一つの動機だけに突き動かされるのでなくて、幾つある動機が複合的に働きます。それは、「動機の複合性」と言われています。ですので、外発的動機があるから内発的動機がないということにはなりません。
例えば、空手をする場合でも、友達と仲良くなれるという親和動機、保護者や先生に褒められたい(承認動機)、出来なかったことができるようになった(内発的動機)というような動機が重なりあっています。そのため「遊びか遊びでないかという非連続的な二分論ではなくて、どの程度強く内発的に動機付けられているかという連続体としてとらえる」ことが大切という事です。そして、「内発的動機付けが遊び要素、外発的動機付けが非遊び的要素」となります。この要素の割り合いは、人によって異なりますし、同じ人でも時間や場所や状況により異なるのです。

2017/11/11(土) 『運動指導の心理学』(48:モチベーションの心理:内発的動機付けその5)第52
9時〜10時45分は、藤沢湘南台道場(湘南台公民館ホール)の白帯〜緑帯の稽古でした。11時〜12時45分は、同所体育室A面で茶帯及び黒帯の稽古でした。14時〜15時は、くるみ保育園の稽古でした。16時〜17時45分は、湘南台カルチャーセンターの稽古でした。17時〜21時は、「特別稽古」(長後公民館ホール→第1談話室)でした。
全く関係ありませんが、今日は「ポッキーの日」です。
さて、タイトルの件ですが、今回は、「競争と内発的動機づけ」です。(P143)競争は、優越動機と獲得動機という外発的動機と関係していることは、容易に分かります。優越動機と獲得動機が強い人は、競争に勝つということに高い価値を置き、競争に積極的に参加します。競争の楽しさは、勝つ楽しさ、優越する楽しさです。
 しかし、競争は内発的動機も大きく、関与しているということです。というのは、競争することにより、相手と切磋琢磨して自己の能力を向上でき、最大限の力を発揮できますので、自己決定と有能さの認知が得られるからです。例えば、短距離走でも長距離走でも、一人で走るより、競争しながら走る方が良い記録になる事は誰でも知っていることです。特に、同じ程度又は少し上の力を持っている人と競争する時に、より競争意識が高まり、成績が良くなることが多いのです。つまり「内発的に動機付けられている場合の競争の楽しさは、自分の持てる力を最大限に発揮したり、自分の能力の向上を実感したりする楽しさであり、優越感ではない」のである。(P144)
 外的動機付けで競争する場合には、勝つことつまり結果が最重要です。しかし、内的動機付けの場合は、「スポーツの醍醐味は勝ち負けという結果ではなく、努力して練習した結果を遺憾なく発揮してプレーを満喫するという過程の中に存在する」(144P)のです。
 タイガーウッズ選手が、相手と1打差を争っている時には、私(小林)だったら自分が勝つために相手が失敗してくれればと思ってしまうのですが、彼は、相手が良いプレーをすることを望んでいるということです。何故かと言いますと、相手が良いプレーをすれば、それに刺激されて自分も良いプレー、もっと素晴らしいプレーをするように頑張れるからだと言うのです。また、浅田真央選手がキム・ヨナが腰痛で苦しんでいて自分が出る大会に出場出来ないでいる時に「キム・ヨナ選手が出場したら、私ももっと頑張れると思うので、欠場は、残念です。」という趣旨の発言をしたのを記憶しています。下衆な私としては、強力なライバルが欠場すれば自分の優勝する可能性が大きくなるのに、あれはマスコミ向けの発言かいな?と思っていたのですが、この本を読んでから、あの発言は正真正銘の本当の気持ちだったのだということに気がつきました。浅田真央選手ごめんなさい!
 

11月絵日記の続き


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